Fate/gold knight 15

 きぃん、と金属同士がぶつかった音が鳴り響く。一瞬バランスを崩しかけ、青の騎士は自身の重心を低くすることで己が弾かれ、姿勢を崩されるのを防いだ。
「くっ」
 セイバーが石段を踏みしめ、態勢を立て直そうとする。そこに降り注ぐのは、月の光にも似た刃。非常識と思える長さの日本刀は優男の手によって易々と振り回され、雨あられのごとくセイバーを襲う。あくまで狙いはセイバーに限られ、その背後にいる俺と遠坂までは届かないのは奴の腕か、上手く防いでくれている彼女のおかげか。
「そらそら、防ぐだけでは先には進めぬぞセイバーよ」
「黙れ!」
 ひときわ大きく剣を振るい、その勢いに乗って一歩先へと進むセイバー。石段が伸びる先を見上げる彼女の視線、その先にはセイバーとは僅かに違う色彩の、青の剣士が立っている。長い刀を軽々と片手で、両手で操り、セイバーと俺たちの進路を塞ぐ奴は、楽しそうに笑った。無邪気に、やっと焦がれた時が来たとでも言うように。
「今宵は実に気分が良い。異国の剣士と、こうやって心ゆくまで刃を交えることができるのだから」
 そう、夜の空によく通る声で呟いて、奴──アサシンは再び刀を舞わせた。


  Fate/gold knight 15. ぐんじょうのやいば


 少しだけ、時間をさかのぼってみる。
 弓ねえの気配を追いかけるアーチャー、奴の背中を見送るのもそこそこに、俺は土蔵を飛び出した。アーチャーの後を一人で追うなら簡単……いや簡単というわけでもないけれど、自分の脚を強化して追えばいい。だけど、そういうわけにもいかなかった。
 アーチャーは、弓ねえが出て行ったと俺に告げたとき異様に緊張していた。サーヴァントであるあいつの緊張……つまるところ、何らかの危機。そして、冬木市の夜に起こる危機というものの原因は、そのほとんどが一つところから出てくるものだろう。
 聖杯戦争。
 そもそもサーヴァントは、その戦争を戦い抜くために召喚される存在。そのサーヴァントが緊張するような危機といえば、恐らくは敵対するサーヴァントの動向であるはずだ。即ち、弓ねえを走らせているモノこそが敵対勢力のサーヴァント、ということになる。少なくとも可能性は高い、と俺は思う。
 それはつまり、アーチャーが弓ねえに追いついたとしてその場には敵のサーヴァントがいる可能性が高い、ということだ。俺が単独でのこのこ出て行ったりしたら、すぐさま死体なり人形なりに変化してしまうのが関の山。いや、形が残っているだけましなのかもな。下手したら肉塊だったり血痕だったり──
 ──黒こげの、死体。
 赤い世界にごろごろと転がるもの。
 焼けた家と区別がつかないくらい、真っ黒に焼けたほんの少し前まで生きていた、ナニカ。
 しっかりと目を開いて見なければ、焼けた木との区別もつかないだろう、ナニカ。
「う……」
 一瞬、胃の中のものを戻しそうになって口を押さえる。ええい、あんな風景思い出している場合じゃない。
 確かにあの世界は俺から何もかもを奪ったけれど……弓ねえからも全て奪ったけれど。
 俺は、何もかもを置き去りにして生き延びたけれど。
「セイバー! 遠坂! 悪い、起きてくれ!」
 それでも、手に入れた家族をもう失いたくはなかったから、俺は自分にできる精一杯のことをする。
 一人でできないことならば、誰かの手を借りるしかないんだから。
「何でしょうか、シロウ!」
 母屋に駆け込んだ俺の声で、セイバーが即座に部屋から飛び出してきてくれた。既に青のドレス、その上に銀の鎧というサーヴァントとしての正装だ。
「何よ……ったくもう」
 離れの部屋にいた遠坂はというと、少し遅れて不機嫌な表情でだけど飛んできてくれる。猫柄のパジャマの上に厚手のカーディガンを羽織って……悪い、寝てたかな。普段はツインテールになってる黒髪がすとんと落ちているのは、結構新鮮だ。
「……あれ、アーチャーがいない」
 ぼんやりとした顔で、きょろきょろと周囲を見回す遠坂。既にアーチャーは弓ねえを追っているから、この家にいないのは当然といえば当然なんだけど。その辺も、俺がきちんと説明しなくちゃならないよな。
「簡潔に言う。弓ねえが外に出た。アーチャーは弓ねえを追っかけてる」
「……は?」
 だからとりあえず端的に事実だけを述べたら、二人は目を丸くして俺を見つめた。う、言葉が足りなかったかな。けど遠坂、この説明方法はどっちかと言えばお前のやり方だぞ。
「何で弓美さんが外出しただけで、わたしのアーチャーが追いかけるような事態になるのよ?」
 ずずいと詰め寄ってきたのは遠坂。胸ぐらを掴むのはやめてくれ、それと反対側の手を光らせるのも。今はそんなことしている場合じゃないんだから、と心の中だけで呟きながら俺は、ゆっくり遠坂の手を外した。それから、セイバーと遠坂を見比べながら、自分でもぞっとするほど冷静に、事情を説明する。
「弓ねえは寝るのが大好きなんだよ。よほどの用事がない限り夜中に、しかも勝手に外には出ない。それに、アーチャーが言うにはどうやら、全速力で突っ走ってってるらしい。あいつも何だか緊張してた」
「……臭いますね」
 俺の説明で、セイバーは納得してくれたようだ。まあ、弓ねえが藤ねえも呆れるほどブラコンなのは数日見ていれば分かるだろうからなあ。好かれる俺も悪く思っていないから、余計に。
「なるほど。何かある、ってことね」
 遠坂も、軽く首を捻りながらも頷いてくれた。自分のサーヴァントが、マスターである自分に一言も無しで飛び出していくような事情だしな。
 ……だからって、俺をジト目で睨み付けないでくれるか?
「けど士郎、勝手にわたしのサーヴァント使わないでくれる?」
「そりゃアーチャーに言ってくれ。俺はセイバーに頼もうと思ったんだけど、あいつが勝手に追いかけてったんだからな」
 誰が勝手に使うか。
 冗談じゃない、そんなことをしたら即制裁を受けるのは目に見えている。それに、あいつは何となく……そう、何となくだけど感じるモノがある。
 俺が使うモノじゃない、俺がそんなことをして良いモノじゃない。
 あれは、俺にとっては越える壁。
 ほんの一瞬だけ、俺の脳裏にそんな言葉がよぎった。
「あら……あーいーつーめー、同じアーチャーだからってー!」
 遠坂は拳をぐっと握りしめ、今にも月に向かって吠えそうだ。俺、遠坂には猫っぽいイメージがあるんだけど、遠吠えをするのは基本的に犬系だよなあ。いや、そうじゃなくって。
「遠坂、文句は後で聞くから。それでセイバー」
「分かりました。わたしはアーチャーの気配を追えばいいのですね」
 壁に向かって正拳突きの真似事をしている遠坂は置いておいて、セイバーに視線を移す。彼女は自分のすべきことをきちんと心得て、こくりと頷いてくれた。アーチャーは実体化したまま弓ねえを追うって言ってたから、セイバーなら気配を追いかけていけると思う。もっとも、セイバーよりもよりはっきりとアーチャーの動向を把握できる人間はここにいるけれど。
「うん、そういうことなんだけど……遠坂、アーチャーがどっちに行ってるか分かるか?」
「え?」
 該当者、つまりアーチャーのマスターである遠坂は、俺に言われてやっとそのことに気付いたらしい。俺の声が届かなければ、今頃柱の一本も折れていただろう。
「あ……あー、そうね。ちょっと待って」
 一瞬ぽかんと俺を見つめた後、遠坂が慌てて耳元に手を当てた。パスがつながっているアーチャーの気配を追いかけているのだろうか。
「そうか、凛ならば分かりますね」
「そうだな。そうなると……セイバーには護衛を頼むことになるか。向こうのサーヴァントに攻撃される可能性があるからな」
 弓ねえとアーチャーがいない今、俺と遠坂がサーヴァントと相対した場合に頼れるのはセイバーだけだ。俺も遠坂も、サーヴァント相手にまともに戦って勝てるとは考えない方がいい。何しろ俺、十年も一緒に暮らしていて弓ねえに勝てないからな。いやあ、間近に見本があるといいなあ。自分の弱さがはっきり分かって情けない限り。
 ……姉を守るのが、弟の役目なのに。
 俺は一体、何をやっているんだろう。
「お任せを。わたしはシロウの剣、あなたの指示に従います」
 真剣なまなざしで俺を見つめ、そう言ってくれるセイバーに、俺は頷くことしかできなかった。女の子に守られ、女の子に救われ、かろうじて生きながらえている俺は──それしかすることがない。
「んー……あ、アーチャー。士郎から話は聞い……え、柳洞寺?」
 一瞬だけ気まずくなった場の雰囲気を引き戻したのは、遠坂の声だった。まるで携帯電話で会話しているかのように、耳に手を当てたままここにはいない奴の声を聞き取り、口にする。機器異常や電波障害があっても届くんだから、ある意味携帯より便利かもな。
 だけど、遠坂が口にした最後の言葉に、俺はぞっとした。
「柳洞寺……」
 一成とその家族が住んでいる寺。切嗣が眠っている寺。そして、恐らくはキャスターであろうサーヴァントが根城としているらしい、その場所。
 アーチャーが向かっているってことは、つまり弓ねえはそこにいる。それはつまり……
「推定キャスターが、魔術で呼び寄せた?」
「多分ね」
 俺の単純な推測を、遠坂は頷いて肯定する。この場合何故だ、と理由を聞くのは意味がない。理由なんてものは、弓ねえが無事に戻ってきてから考えればいいことだ。
 だけど、魔術で呼び寄せるなんてことができるんだろうか。うちには親父が生前に構築した結界が存在していて、さすがに敵の排除はできないけれど敵意のある存在を関知することはできるんだし。
「相手がキャスターなら、魔術の専門家よ。先に糸張るなり何なりして、うまく結界をすり抜けることくらいできるでしょ。だいたいこの結界、敵意がなければ反応しないんでしょう?」
「ああ、それは……そうか」
 遠坂の説明に、何となく納得がいった。
 前もって弓ねえと自分との間に、魔力か何かでラインを結んでおく。それを使って呼び寄せれば、弓ねえは引っ張られるように柳洞寺に向かうってことか。魔力自体に敵意とか悪意とかがこもるわけじゃないから、結界は反応しない。物理的に糸が存在するわけじゃないから、触っても分からない。
 そうやって、柳洞寺にいる誰かは、弓ねえを連れ出した。
 俺がふがいないばっかりに。
「はい、自分を責めるのはやめる。悪いのは推定キャスター、この際あんたのへっぽこぶりは関係ないの」
 歯がみしていた俺を慰めたいのか追い打ち掛けたいのかはたまた笑いたいのか、遠坂はそんなことを言ってきた。確かに、凹んでいる場合じゃないんだけどな。凹むだけなら後でもできる。
 と、ふと遠坂の姿に気がついた。そうだ、彼女は寝ていたんだからパジャマ姿じゃないか。いくら何でもそのままで出て行くわけにはいかないよな。弓ねえみたいに、そのままで外に出られるものじゃないんだし。
「あ」
 遠坂自身も自分の姿に気付いた。というか、多分俺の視線が気になったんだろう。慌ててカーディガンの前を掻き合わせる仕草は、ちゃんと女の子の仕草だなあ。これが弓ねえだと、「何じゃ気になるのか?」なんて言いながらふんっと胸を張ってみせるから。いくら姉弟だからって、俺も男なんだから少しは気にしてほしいもんだ。
「ちょっと待ってて。着替えてくる」
「了解。俺も着替えるつもりだし。セイバー、先行するか?」
 今は二月で、時刻は深夜。室内着だけではすぐに身体を冷やしてしまうことが分かっているから、遠坂はあえてそう口にしたんだろう。俺も、小さく頷いて答える。そうして、既に戦闘準備完了しているもう一人の彼女へと視線を移した。彼女一人なら、先に出ることができる。きっとアーチャーにもすぐ追いつけるだろう、とそう思っただけなのだけど。
「……いえ、待ちます。わたしが先行した場合、シロウと凛はわたしに追いつけないでしょうし……別のサーヴァントに襲われた場合に守れません」
「それもそうか」
 だから、セイバーにそう指摘されて納得した。確かにキャスターだけが敵というわけじゃない。ランサーやバーサーカーに襲われたら、恐らく次の朝日は拝めなくなる。
「分かった。すぐ支度するから待っていてくれ」
 そう言い置いて、俺は自分の部屋に飛び込んだ。手早く着替えるだけだから、五分もあれば終わるはずだ。遠坂がどうかは知らないけれど。

 雲の間から月の光が差し込んでくる。ほんの一瞬俺の顔を照らした月は、あっという間に雲の向こうに姿を消した。
 冬の夜の空を、俺たちは普通の人間にはちょっと出せないような速度で滑空していく。
 こんな時間の空気はただでさえ冷たいのに、移動速度の早さからよけいに気温が低く感じられる。ほんの少し家を出るのが遅れたとはいえ、きちんと外出用の服に着替えてきて良かった、と俺は思った。一緒にいる遠坂も気持ちは同じだろう……とはいえ、俺が小脇に抱えている姉用のコートには眉をひそめられてしまったわけだが。いいじゃないか、どうやら弓ねえ、パジャマのままで出かけてしまったみたいだし。
「はー、さすがに夜中は冷えるわねえ」
「今日は一段と寒いよな……風のせいか?」
「多分ね」
 遠坂の返事に頷こうとして、ぐっと歯を噛みしめた。着地の衝撃で舌を噛みそうになったからなので、これはまあ仕方がない。一蹴りで数十メートルの距離を移動するのだ、当然衝撃は大きなものになる。その衝撃を上手く殺せないのも、これはまあ仕方のないことで。
 ちなみに、遠坂の準備時間は十五分ジャストだった。髪をまとめるのに少し時間が掛かった、とは彼女の弁だ。むしろ、そんな短時間でおねぼけモードからいつものモードに切り替えられるあたりが俺としては驚異だ。女って凄い。
「シロウ、凛。大丈夫ですか?」
 平然と滑空を続けるセイバーが、俺たちを覗き込むようにして気遣ってくれる。月夜の空に、淡い金の髪がよく映えるなあと思いながら、俺は小さく頷いてそれに答えた。
「ああ、何とか。迷惑掛けるな、セイバー」
「わたしも大丈夫よ。気にしないで」
 セイバーを挟んだ向こう側から、遠坂のよく通る声が聞こえた。セイバーは「そうですか」と僅かに微笑んで、再び屋根を蹴る。住民の人には驚かせちゃったなら悪いなとは思うけれど、俺自身はそれどころじゃないので知らないことにする。そうして、ぎゅっと目を閉じた。自分を支えてくれている腕にしがみついて、コートを落とさないように握りしめ、呼吸を整える。一番手っ取り早い方法とはいえ、どうも手持ちぶさたというか、心許ないというか。
 夜更けの深山町を柳洞寺のある円蔵山に向け、俺と遠坂はセイバーの両脇に抱えられて空中を移動中だ。いや、いろんな条件を考えてもこれが一番早い移動方法なんだろうけど、何だかなあ。
「士郎!」
 何度目かの空中で、遠坂が俺の名前を呼んできた。「何だ?」と答えたら、意地悪そうな目つきでこっちを睨んでる。いや違った、あれは面白がってるって顔だぞ。弓ねえが俺に意地悪言うときとかにするのと同じ表情だし。ちくしょう、俺はそういうタイプの女性から離れられない運命なんだろうか。
「アーチャーから連絡。弓美さん発見、何とかして保護するから安心しろへっぽこ、ですって」
「……そっか」
 だけど、その口から漏れた言葉……アーチャーからの伝言にほっと息をつく。あいつはどこか気にくわないところがあるけれど、きっと言ったことはちゃんとやってのける奴だと思うから。思うんだけど、何だよその言いぐさは。
「へっぽこは余計だ。姉貴に傷つけたら許さないぞって返信頼む、遠坂」
「了解~。どこまでシスコンなんだか」
 少しむかつきつつ、遠坂に伝言を頼む。確かに俺がシスコン気味なのは認めるけど、先行を申し出たのはあいつの方だ。俺が少しくらい強く出たっていいじゃないか。遠坂、何でそんなに楽しそうなんだよ。俺の弱点見つけたとか、そんなこと思っているんじゃないだろうな。俺は弱点だらけなんだから、一つ押さえたところで意味はないぞ。
 ……自分でそう思ったことに気がついて、俺自身苦笑を浮かべた。
 確かに俺は、弱点だらけだ。人より秀でたところなんて、取り立てて思い当たらない。せいぜい、自分に備わった解析能力を生かして機械の修理ができるくらいだ。他には──他人とは違う投影、くらいか。あ、あるものだなあ。
「姉弟仲が良いのはいいことではありませんか、凛」
 俺たち二人を両脇に抱えたまま平然と跳躍を続けるセイバーが、苦笑の声と共にそんな言葉を漏らした。その言葉に遠坂があ、と吐く息に紛れるような小声を上げたのを、俺の耳はちゃんと拾っていた。遠坂は一人っ子みたいだから、きょうだいのこととかって分からないんだろうか。だけど、桜と並んだところはまるで姉妹みたいだったけどなあ。
「苦労するんですよ、姉と仲が良くないのは」
「えっ?」
「あらセイバー、あなたお姉さんいたの?」
 セイバーの溜息混じりの言葉には、遠坂だけじゃなく俺も思わず反応してしまう。身じろぎを、自分の腕を通して感じ取ったセイバー……あ、少し腕に力が入った。うっかり口にしてしまったけれど、あまり思い出したくないことだったのかな。
「……え、ええ、まあ」
 口ごもったセイバーの足が止まる。顔を上げると、そこには見慣れた石段の下の端。いつの間にか、目的地に到着していたようだ。
「あ、ついたわね」
「だな。ありがとうセイバー、明日は少し奮発する」
 ゆっくり足を地面につけてから、俺と遠坂をここまで運んできてくれた少女に礼を言う。そうしたら彼女は、白い頬をぽっと赤らめた。あれ、俺なんか変なこと言ったかな?
「え、あ、はい。それは大変にありがたい。シロウの手になる食事は大変に美味しい。期待しています」
 真面目な顔してそんな台詞。これは本気で頑張らないと、明日の食卓は俺の説教会場バイセイバーになりそうだ。……ちゃんと帰ることができれば、の話だが。うん、大丈夫だ。きっと帰れる。
「まるでご飯に釣られたみたいよ、セイバー」
「そ、そんなことはありません。わたしはシロウの剣だ、ご飯があろうとなかろうと……いえその、ご飯があった方がやる気が出るのは事実なのですがええとその」
 遠坂のからかいの対象にされて、セイバーはしどろもどろ。こんなことをしている場合じゃないんだけど、俺は吹き出してしまった。多分、弓ねえの方にはアーチャーが行ってくれているってのが分かってるからなんだろう。あいつはきっと、弓ねえを助けてくれるから。
「ともかく急ごう。遠坂、上にいるんだな?」
 石段の上を見上げる。長いその向こうには正門が立っていて、その向こう側が柳洞寺の境内、ということになる。いつもはここを登っていって門をくぐった途端、どこかすがすがしい空気になるものだけど今は何か違った。
 門を見ただけで分かる、おどろおどろしい空気。
 重苦しいまでの魔力の集まりが、鈍い俺にでも分かるくらいあの中に凝り固まっている。
 弓ねえ曰くの『魔術を弄するしか手のないキャスターが、冬木の市民からこそこそくすねた魔力』が、あれだけ集積されている。
「ええ、間違いない。弓美さんは分からないけれど、アーチャーは確実にいるわ……しっかしよく溜め込んだもんねぇ。少しわたしによこせって言いたくなる」
 石段に足を踏み出しながら、遠坂も顔をしかめている。確かに、俺でもはっきりと分かるくらいに魔力を集めていたなんてな。それも、冬木市の住民が意識不明になるくらい吸い上げて。しかし、自分によこせってのは実に遠坂らしい。俺なら吸い上げた被害者に返せ、って考えるから。もっとも、被害者たちは酷くて昏睡状態、ただし生命に別状無しとか新聞やニュースで言っていたから、しばらく休息を取れば回復するはずなのだけれど。

「……!」
 石段を中程まで上がったところで、先頭を行くセイバーが立ち止まった。俺が真ん中、最後尾が遠坂という順番は……まあ要するに、俺が一番役立たずなので守ってやろうという女性陣の心遣いによるものだ。ああ情けない……それはともかく。
「セイバー?」
 俺を何かから庇うように足をずらしたセイバーの背中が、俺の正面にある。見えない剣を構えたその背中は、緊張と戦闘意欲に張り詰めていた。
「何よ?」
「シロウ、凛──サーヴァントがいます」
「え?」
 セイバーのその言葉が、俺と遠坂の周囲にある空気の温度を一挙に下げた。遠坂が膝を軽く曲げて身構える。
 俺も僅かに重心を低く保ち、頭の中に剣の構造図を作り出した。何故か浮かび上がったのは、アーチャーの操る双剣。まともに投影できれば武器としては使えるけれど……今の俺にそんな力はないだろう。だって言うのに何故か、『使える武器』を思い起こしたときまず浮かび上がったのはあの二本だった。
「セイバー、キャスターか?」
「いえ、違うようです」
 いつでも剣を投影できるように準備を済ませ、セイバーに問いかける。キャスター相手に俺がまともに戦えるとは思えないけれど、遠坂やセイバーから相手の目をそらさせることくらいはできる。
 だけど、セイバーの答えは予想とは違うものだった。そうして、彼女の返答に重なるように、男の声が夜の空に響いた。
「ふむ。今宵は艶やかな花が咲き誇る。眼福というものよ」
 ざあ、と風が流れる。枯れ葉が飛び散るのに思わず目をそらし、再び声の方向を向いたとき……彼が立っていた。
 夜風になびく長い髪は後頭部でまとめられ、その涼やかな目元は俺たちを柔らかく、だけど鋭く見つめている。
 深い青を基調とする和服と、その背に負った長い刀。恐らく……いや、確実に日本古来の英雄が具現化した姿だろう。
「……知らない顔ね」
「過去の英雄に知り合いはいないと思うぞ」
 遠坂の台詞に、思わずツッコミを入れてしまった。空気を読めないとは時々言われるけれど、それがこんなところで出るなんてな。
「貴様、サーヴァントか」
 一方セイバーだけは自分の剣を構え、まっすぐにその男を見上げて問うた。背中の剣を抜かないままの彼と、抜刀してはいるもののその剣が不可視であるセイバーとの対峙は、どこか絵になる光景だ。それも西洋風ではなく、日本画の方が合うだろう。
「我が名はセイバー。本来ならばここで一戦交えるところだが、今宵はその門の向こうに用がある。通してもらおう」
 セイバーの、凛とした声が響いた。そう、今夜ここに来た目的は柳洞寺のサーヴァントを倒すことじゃない、境内にいるはずの弓ねえを無事に連れ出すことだ。だから、できれば余計な戦闘は避けたい。あの男が横に避けてくれれば、それで話は済むはずだ。
 はずだったのだけど。
「お前たちの事情は知っている。だが、こちらにもこちらの事情というものがあってな……これ以上、門から先へは入れぬようにと主から命が下っている」
 そのサーヴァントは、楽しそうに微笑んで正門を塞ぐように立った。肩の上にちらりと見える、刀の柄に手を掛けて。
 俺たちをここから先には通さないという、その意思表示。
「ならば、力ずくで押し通るまで」
 それに答え、セイバーも見えない剣を構え直す。こちらが低い位置にいるという不利を感じさせない、堂々とした姿で。
 俺たちをここから先に進ませるという、その意思表示。
「──花を散らす趣味はないが、これも運命か」
「こちらも散る趣味はない。運命ならば受けて立とう、マスターに立ちふさがる障壁ならば打ち崩そう」
 二人のサーヴァントが相対する場に、俺と遠坂の出る幕はない。どちらからともなく数歩引き……つまり数段下に降り、その場を見つめていることしか俺たちにできることはない。あくまで人間であるところの魔術師と魔術師見習いが、英霊となった過去の英雄と戦って勝てる道理はないのだから。
「良い心がけだ」
 ゆっくりと刀を抜く男。鞘は夜風の中に消え去り、抜き放たれた刃が月の光を反射してきらめく。思わず解析しようとして、その前に俺の思考は、男の声によって止められた。
「我が名は佐々木小次郎。アサシンのサーヴァント」
「……え?」
 アサシン。
 『暗殺者』のクラスで呼ばれるサーヴァント。
 それが名乗るには相応しくない名前を、あいつは名乗った。いや、逆だ。あいつにそのクラスが相応しくないのだ。
「……佐々木小次郎って、暗殺者じゃないじゃないの」
「ああ、そうだな」
 遠坂の意見に、俺は素直に頷いた。大体、俺たちがあいつを見たときに全くそのクラス名が出てこなかったじゃないか。
 セイバーは俺のサーヴァント、アーチャーは遠坂のサーヴァント。バーサーカーはイリヤスフィール、とかいうあの白い子が、ライダーは慎二が連れている。マスターの分からないランサー、柳洞寺の奥にいるはずのキャスターを含めれば、既に六クラスが揃っており……遠坂の示した『標準的なクラス』に従えば残るはアサシン、ただ一つだけ。
「そうか、貴様がアサシンか。わたしの名は……」
 『佐々木小次郎』の名を知らないであろうセイバーは、何の疑問を持つこともなく自らも名乗ろうとした。って、俺には伏せておいてそれかよ。いや、向こうが名乗ったからだろう。
「いや、聞かずにおこう」
「えっ?」
 だから、正直アサシン──本人が名乗っているのだからそう呼ぶ──の制止には正直ほっとした。真名を知られることの意味を、セイバーは分かっているはずなのに名乗ろうとしたから。全く、困った奴だ。素直で良いのかもしれないけれど。
「何、こそこそと盗み聞きをしている女狐などには、可憐なる花の名を知られたくないというだけの話よ。あの魔女、花を汚して手折るのが趣味と見える」
 薄く笑みを浮かべながら、アサシンがちらりと自分の背後を伺った。そこにあるのは、柳洞寺の山門……その向こうはアサシン言うところの女狐にして魔女、即ち推定キャスターの領域だ。そうして……あの中に。
「アサシン、わたしたちの前に一人、女の人が来たでしょう。彼女はどうしたの?」
 俺の代わりに遠坂が口を開く。俺が尋ねたらきっと、毒を吐いてしまいそうだったから助かった。うん、アーチャーがいてくれてるはずだからきっと大丈夫なのだろうと、俺は信じている。
「ふむ、あの豪奢な娘か。魔女のところだ……赤い外套の騎士がたどり着いているはず。そう案ずることもなかろう」
 そして、アサシンの答えが俺の思考を補強してくれた。
 赤い外套……赤と黒の背中。あいつがついていてくれるなら、弓ねえは大丈夫。
 何の根拠もなく、そう思った。そうして一つだけ、疑問が心に浮かぶ。
「止めなかったのか? アーチャーのこと」
 浮かんだ疑問を口にした途端、アサシンの視線が俺に向き直ったのが分かった。冬の夜に、温度のない視線が俺をまっすぐに見つめている。
 ああ、こいつはどこかセイバーと同じ存在なのだ、とその時俺は根拠もなくそう思った。まっすぐで、まっすぐすぎて、いつしか行き着いてしまった存在なんだと。
 そう思った瞬間、不意にアーチャーの姿が頭をよぎった。
 あいつも、どこかの誰かが『行き着いてしまった』存在なんだろうか。
「魔女が私に命じたは、赤毛の少年と少女騎士を止めること。かの騎士は数には入っておらぬよ」
 そんな俺の思いを知ることなく、アサシンは飄々と答えてのけた。なるほど、そう命令されたのなら弓ねえとアーチャーは歩みを止める対象じゃない。少なくともキャスターは弓ねえを自分のところに引き寄せたかったのだから、彼女を止める理由はない。俺とセイバーは確実に弓ねえを追ってくると読んで、それを止めるためにアサシンをここに配備したのだろう。
 ……待て。何かおかしい。
 『魔女が命じた』?
「待てよ。何でキャスターがお前に命令するんだ? お前のマスターは何やってるんだよ」
「ふむ。その問いにはこう答えよう。お前たちの言う『キャスター』と『マスター』とは、同じ者であると」
 あくまで自分の感情を表に出すことなく、淡々と俺の問いに答えるアサシン。それは、聖杯戦争を俺より詳しく知っている遠坂には異常事態として受け取られたらしい。一瞬にして、俺のそばにいる彼女の纏う気が変化したのがそちらを見なくても分かる。
「ちょっと、何よそれ! サーヴァントに召喚されたサーヴァントですって!?」
「……反則、なんだな? 遠坂」
「当たり前でしょ、わたしと士郎が同盟結んでるのとはわけが違うのよ。常に二騎のサーヴァントが組んでいることになるんだから」
 遠坂の顔は真っ赤で、見事に怒りの形相を浮かび上がらせている。そして、彼女の言いたいことは俺にも何となく分かった。
 七騎のサーヴァントは聖杯を競い合う敵同士。俺と遠坂は、主にバーサーカー対策のために組んでいるようなものだ。俺自身としては遠坂と戦いたくはないのだけど、向こうはやる気満々っぽい。だから、その時が来れば嫌でも戦わなくてはならなくなるだろう。
 だけど、キャスターがアサシンのマスターだというのはそれとは事情が違う。アサシンはキャスターの命に従い、戦わなくちゃならない。そうでなければ……多分、令呪を行使されるだろう。それはつまり、キャスターのマスターはキャスターとアサシン、二人のサーヴァントを同時に従えているということで。
 確かに反則だろう。相手がバーサーカーでもなければ、前衛たる剣士と後衛たる魔術師の組み合わせはお互いを上手く使うことで最強と言っていいんじゃないかな。
「話が逸れたな。先ほども言ったが、お前たちをこれ以上先に進めるわけにはいかぬ。いざ尋常に勝負いたせ」
 くすり、と僅かに笑みを浮かべたまま、アサシンが刀を構え直す。あいつが佐々木小次郎ならば、あの長い刀はつまり物干し竿の名で呼ばれる、奴の愛刀。燕を切り落とす技を習得した、あれが奴の英霊……いや、サーヴァントとしての武器なのだろう。
「受けて立とう。シロウ、凛、下がっていてください」
「……任せた、セイバー」
「了解」
 ……しかし、姉上が推定ピンチだというのに俺は何をやっているんだろう。いや、アーチャーの奴が行ってくれているから大丈夫のはずだ。アーチャー、姉貴に何かあったら石握ってぶん殴るからな。ついでに投影刀剣の実験台になって貰おう、切れ味の確認もしたいし。

 そうして、サーヴァント同士の戦いが始まった。西洋系の、恐らくは両手剣を操るセイバーと、長いとはいえ日本刀を操るアサシン。戦い方が違うとはいえ剣士の戦闘は、かなりの見物となった。
 セイバーは力で押す。西洋剣は敵を斬るというよりは叩き潰すための武器。それを易々と操り、一歩また一歩と前進していく。華奢な容姿と体格でありながらそれは、まるで重戦車のようだと俺には思えた。
 対するアサシンは、技術と手数で押す。まともに打撃を受ければ、恐らく日本刀は使い物にならなくなる。少なくとも刃に歪みが生じ、自分の思ったように動かすことが適わなくなるということが分かっているのだろう。アサシンは力任せに叩きつけられるセイバーの剣を巧みにいなし、受け流す。奴の方が石段の上部にいるということもあり、上から押さえつけるように放たれる剣戟がセイバーの歩みをのろのろとした速度でしか許さない。いや、今の数撃でセイバーの足は一歩引いた。
「……まだまだぁっ!」
「ふむ。力だけでは敵を制することはできぬぞ?」
「くっ……分かって、いるっ……!」
 早く先に進もうと焦っているセイバーに対し、アサシンの表情は涼しいものだ。それもそうか、アサシンはセイバーをできるだけ長く抑えられれば良いわけだからな。
 位置の高低、心理状況……本来ならばもっと優位に立ってもいいセイバーが劣勢に立たされている。見えない剣が描くのに、軌跡が光って見えるというのは奇妙なものだけれど、その曲線がアサシンの刀に触れるか触れないかの位置から微妙に歪むのが見て取れる。この状況、イレギュラー無くして打開はできないかもしれない。
 ……と。ここまで考えて、意外に落ち着き払っている自分に少し驚いた。弓ねえがあいつの向こう側にいるのは分かっている、だから一刻も早く行きたいはずなのに、何で俺はここまで落ち着いているんだか。
 その理由は、二人のサーヴァントが互いに一歩引いた次の瞬間にはっきりした。すぐそばの森の中から塀の上を越えて山門の中へ──赤い雨が降り注いだのだ。
「え? 何っ?」
 遠坂が唖然と見送る。山門の中からはざざざと激しく地面を穿つ音が聞こえ、何かが壊れていくような音がそこに混じる。おいおい、誰だか知らないけれどまさか、柳洞寺の建物破壊してるわけじゃないよな?
「どけっ!」
 破壊音に紛れるように、山門の中から赤い何かが飛び出してきた。そいつの叫びに、さすがのアサシンも思わず身を引く。まさか石段上でぶつかるわけにもいかないからな。
「えっ!?」
 一瞬ぽかんとあっけにとられたセイバーも、慌てて数段下がる。たった今まで戦っていた二人のサーヴァントの間……アサシンが足場としていた踊り場の部分に、その赤い何かは器用に着地した。足を踏み外さなかったのは、英霊故の能力の高さに起因するものだと思っておこう。
「……ふん。遅かったな」
 すっくと立ち上がったその姿は、俺より頭一つ以上高い男。赤い外套を纏ったアーチャーの腕の中に、パジャマ姿の弓ねえが縮こまっていた。何かに怯えるようにしっかりと目を閉じ、両の手で耳を塞いで。
「アーチャー! 弓ねえ!」
 思わず、周囲の安全確認もしないままアーチャーに駆け寄る。俺の声が届いているはずなのに、弓ねえは目を開けない。衣服に乱れはなさそうだけど、キャスターに何かされていたのかもしれない。いや、されかけてアーチャーに助けられたのだと思っておく。そう思わなくちゃやってられない、というかもし間に合わなかったのであれば目の前の気障野郎をぶん殴るつもりだけど。
「無事でしたか、ユミ、アーチャー」
 何故か不機嫌そうな顔をしたセイバーが、顔と同じ感情を口調にこめてぼそりと呟く。ああ、きっと戦いの邪魔をされたのが気に食わなかったんだな。彼女の向こうに見えるアサシンは……あれ、あっちは何だか愉快げな表情だ。戦いの邪魔をされたっていうのはあいつも一緒なのに、何故だろう。
「まあな。戦に割り込んで済まなかった、セイバー」
「む……」
 アサシンとどこか似通った涼しげな顔で、赤の騎士は本心からとはあまり思えない謝罪の言葉を吐き出す。心からではない謝罪にセイバーの機嫌はやはり直らなくて、ちらちらと俺に投げかけてくる視線が痛い。もしかしてセイバー、俺からアーチャーに文句を言って欲しいのかな。自分で言えばいいだろうに……弓ねえに気を遣ってくれているのならありがたいんだけど。
 でもセイバー、そもそもお前が機嫌を損ねたのはアサシンとの対決を邪魔されたからだけど、それは本末転倒って言わないか?
 俺たちがここに来たのは、弓ねえを助けるためだったんだから。
 そして、アーチャーは先行してくれて、弓ねえを助けてくれたんだから。
 だから、そのアーチャーに対して怒るのはおかしい、と俺は思う。
「衛宮士郎」
「え?」
 そんなことを考えていたら、不意に名前を呼ばれた。はっと顔を向けると、その視界を覆うのはふわふわした金色の髪。
「そら、彼女も無事だ。受け取れ」
「おわっ」
 慌てて差し出した腕の中に、小柄な姉上の身体がすっぽりと収まる。触れてみて初めて分かったけれど弓ねえは小刻みに震えていて、顔を上げようとしない。もしかしたら、アーチャーから俺に渡されたことにも気付いていないんじゃないだろうか。
 俺が弓ねえを受け取ったのを見届けたかのように、アーチャーが背中を向けた。その手には干将莫耶……恐らくは、セイバーと共に俺たちを守る盾になるつもりなのだろう。……遠坂と弓ねえを、かな? 俺はついでで。
 まあいい。ついででも、守ってもらえるだけめっけものだ。正直、俺はサーヴァント相手に勝てる戦いはできないんだから。
「……ぅ……」
「弓ねえ? 大丈夫か、弓ねえ?」
 アサシンはセイバーとアーチャーに任せることにして、俺は弓ねえを抱え直す。そばに来てくれた遠坂と一緒に、ぎゅっと身を縮こまらせたままの姉貴に声を掛けた。耳を押さえたまま動かない弓ねえの肩を、遠坂が軽く叩く。
「弓美さん、迎えに来たわよ。もう大丈夫よ……多分」
「ぁ……?」
 俺の声は届かなかったのかもしれないけれど、肩を叩かれたことで姉貴が反応した。おずおずと顔を上げ、どこか虚ろな目が遠坂を確認する。弓ねえのこんな顔は見たこと無い……いや、ある。

『……アー……チャー……?』

 一度は、召喚されたばかりのセイバーに刃を向けられたとき。

『……あの教会には、入りたくない。入れない』

 今一度は、言峰の教会の前で。

 こんちくしょう。
 セイバーはいいんだ。後で事情は分かったし、今はセイバーも弓ねえのことを納得してくれているから。
 何でこう、あの教会がついて回るんだろう。
 あの教会と、その中で何かを楽しそうに嘲笑っているあの神父が。
 弓ねえのことを知っているらしい、言峰綺礼が。

「りん?」
 頭の中で言峰の顔を思い浮かべかけた瞬間、弓ねえの声がその幻をかき消した。慌てて視界に入れた姉の顔は、まだぼんやりしてはいたけれどちゃんと自分を取り戻し始めているようで、俺は少しほっとした。
「そうよ、わたしよ。弓美さん、しっかりしてちょうだい。ほら、士郎もいるんだから」
 遠坂が俺の名前を出し、そして俺に視線を向ける。その目は弟ならしっかり守れと叱咤しているようで、俺はつられるように弓ねえを抱え直した。その僅かな振動の原因に思い当たったようで、姉の赤い目が俺に向けられた。
「……しろう?」
「弓ねえ」
 ああ、良かった。ちゃんと俺の名前も呼んでくれた。もう大丈夫だろうと俺が思った次の瞬間、俺の首に弓ねえがしがみつく。あー、ふわふわの髪の毛から良い香りが……って、違う!
「士郎、士郎っ!」
「え、あ、うんちょっと、弓ねえ!?」
 サーヴァントという存在は、得てして人間より強いもんである。この姉上もその例外ではなく、結果として俺は首根っこにしがみついた姉上のおかげで息苦しい状態になってしまった。こら遠坂、ぽかーんと見てるだけか止めてくれ頼む。
「ろろロープロープ、苦しいってば!」
「うぅ……えぐ、えぐ……」
 ともかくタップ。うん、ちゃんと分かってくれたみたいで腕の力が緩んだ……けど、やっぱり姉は俺にしがみついたまま、顔を上げようともしない。……よっぽど怖かったのか、何かあったんだろうな。
 さすがに姉でサーヴァントとはいえ女の子が自分にしがみついて泣いているのを、無理矢理引きはがすほど俺は馬鹿じゃない。背中をぽんぽん叩いてやって、何とか落ち着かせることに専念する。
「遅くなってごめん……大丈夫か?」
「……う、うむ……大丈夫、だ……」
 顔を上げないまま、やっと弓ねえが答えてくれた。うん、大丈夫ならいいんだ。良かった、間に合って。
「……花は汚されることなく戻ったか。それは重畳」
 同じことを、アサシンの奴も考えていたようだ。投げかけられた言葉はどこか暖かくて、見上げた顔は楽しそうに笑っている。セイバーとアーチャーの背中はまだ緊張したままだけど、どうもアサシンの方はこれ以上戦いを続ける気はなさそうだ。俺が楽観的過ぎる、と言われたらそれまでだが。
「アサシン。貴方のマスターが失敗したのだろう? 笑っていて良いのか」
「何、あの女狐が失敗したのだ。私にとっては良い酒の肴よ」
「ふむ……機会があれば是非酒を酌み交わしたいものだ」
 セイバーの問いに涼しげな顔をして答えるアサシン、そして俺からは表情を伺うことは出来ないけれどやっぱり笑っているであろうアーチャー。うん、やはりこれ以上の戦闘は起きそうにない。起きるにしても、俺は弓ねえを連れてこの場を脱出することを最優先にさせて貰うけどな。これは、遠坂も同意見なんじゃないだろうか。
「お酒はともかく。弓美さんも無事だったみたいだし、今日はこのまま引きたいんだけどいいかしら? アサシン」
 ほら。
 思った通り遠坂も、俺と同じ意見だ。大体、遠坂は弓ねえのことを心配して出てきてくれたんだからな。その弓ねえが無事なら、このままむやみに突っ込んでいく理由なんて無い。
 あとは、アサシンが頷いてくれるかどうかだけど……
「それが良い。追撃の命は出ておらぬ、早々に戻り、ゆるりと休め」
 ……思ったよりもすんなりと、アサシンはそう言った。
 ああ、良かった。
 佐々木小次郎という人物を、俺は詳しく知らない。
 知らないけれど、少なくとも今俺たちの前にいるこいつは、この状況でなおも戦いを続けようとするような相手ではなかった。
 まあ、セイバーや弓ねえを花に例える相手だもんなあ。どっちも怒らせると怖いし、戦力としては申し分ないのだけれど。
「……シロウ」
 その片方であるセイバーは、さすがに戦闘を途中で止められたことにご不満の様子。彼女としては、せっかくだから今のうちに一人でも敵を倒しておきたいのだろうけど。しかし、こっちは準備も不十分だしな。相手の戦力が判明しただけでもありがたいと思って欲しいもんだ。
「セイバー、聞いての通りだ。今日は戦いに来たんじゃない、引くぞ」
「……分かりました。マスターの命とあらば、致し方ありません」
 でも、こちらが少し強気の口調で答えたら不承不承ながらも引いてくれた。両手をだらんと下ろしたところを見ると、見えない剣はしまってくれたようだ。よし、ちゃんと撤退してくれるだろう。よかった。
 あー。何だか明日明後日くらい、うちの道場で俺をこてんぱんにのすセイバーの姿が幻として見えたような気がするけれど、気のせいにしておこう。ここで先走った結果、その幻が幻でしか無くなるなんてのはさすがに嫌だ。いや、幻でなくても嫌だけど。
 弓ねえを抱えたまま……弓ねえに首根っこにしがみつかれたままそんなことを考えていた俺の視界を、赤と黒がすいと占領した。はっと見上げると、灰色の目が俺を見下ろしている。
「行くぞ、衛宮士郎。弓美を休ませるのだろう、先導する。凛も、早く」
「あ、ああ」
 俺には冷たい口調でそう言い放ちながら、こいつは弓ねえの金の髪をそっと手で撫でて背中を向けた。
 ……アーチャー、お前弓ねえには甘いよな。ほら、遠坂も何か不機嫌そうだぞ。マスターよりよそのサーヴァントに甘いなんてどういうことだ、って顔をしている。でもまあ、俺の大事な姉貴を助けてくれたのは事実だからここは大人しく黙っておこう。
「弓ねえ、帰るぞ」
「……うん」
 一言声を掛けると、俺にだけ聞こえるくらいの小さな声で返事が戻ってきた。それで良い、それ以上は望まない。俺の腕の中に、大事な姉がちゃんと存在してる、それだけで。よし、帰ろう。
「……何でわたしより弓美さんの方が優先なんだか。ま、いいわ」
 振り返って石段を下り始めた俺の背後で、遠坂があからさまに溜息をつく。アーチャーのことを言っているんだろうなあ……確かに、何でか知らないけれどあいつは姉貴に構ってくれる。今夜だってそうだ。弓ねえが出て行ったことに気付いたのも、その弓ねえを追いかけてくれたのも、そしてキャスターの手から助け出してくれたのも、全部アーチャーだ。
「絶対アーチャー、士郎の前世よ。輪廻転生ってものがあるかどうかは知らないけれど、少なくともこれだけは確信した」
「だからなんでさ」
 うんうんと頷いているであろう遠坂の、怒りというか呆れというかそこら辺のオーラを背中に感じながら、ゆっくり石段を踏みしめる。少し先……俺から見ると下側になるんだけど、そこにアーチャーがこちらを肩越しに振り返っているのが見える。おい、もしかして俺……が抱えている姉貴待ってるか?
 その顔が本当に他人を案じている顔だったせいで、遠坂の荒唐無稽な推測もあながち間違いじゃないと思えてしまった。本人としては感情を隠しているつもりだろうけれど、俺には分かるぞアーチャー。英霊とはいえまだまだ甘い。
 と、そのアーチャーの視線が俺の背後に逸れたような気がして思わず振り返った。一瞬目が合った遠坂も、俺につられてか自分の背後に視線を向ける。
 そこにいるのはセイバーと、アサシン。雲の切れ間から差し込む月の光に照らされて、青と銀の二人はお互いをじっと見つめていた。しばらく音もないまま時が流れ……一陣の風が枯れ葉を巻き上げるのを合図にしたかのように、アサシンの方が口を開いた。
「セイバーよ。機会があれば、また仕合いたいものだ」
「私もです。この決着は、いずれ」
 セイバーも深く頷き、答える。そうして、自分に視線を向けている俺たちに向き直って彼女は、少し怒ったような口調で言ってくれた。というか、青筋立ってるのが見えるようなんですけれど。
「さあ、帰りますよ。きりきり歩いて帰りましょう、護衛はきちんと致しますのでマスター、あなたはユミをお守りください」

 ……俺、自分の姉貴を迎えに来ただけなのに、何でこんな目で見られるんだろう。

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この記事へのコメント

風まかせ
2007年08月06日 00:25
一番乗り…って言っていいのかな? 読み返しに来たら、あれ、増えてる。
という訳で遅れた感想で申し訳ない。

今回も弓ねぇ祭でした!
次回は士郎を叱咤する弓ねぇが見たいです。もっとも姉に叱咤される前に、セイバーに叩きのめされている士郎君が目に浮かんでしまいますが。

7騎のサーヴァントがこれで出揃ったので、流れ的には大きく動きそうですね。
嘘予告に従うと、最初の脱落はライダーでしょうか。
守られる存在である事を悩み続けている士郎がどう強くなるのか等々、今後も目が離せません。

また読みに来ますので、続きをよろしくお願いします。
Shunki
2007年08月17日 01:03
風まかせさま
 いつも感想ありがとうございます。励みになってます。

>セイバーに叩きのめされている士郎君が目に浮かんでしまいますが。
道場でひっくり返っている様子が目に見えるようです(笑)

>嘘予告に従うと、最初の脱落はライダーでしょうか。
さて、どうでしょう。ここから展開がスピードアップ……の予定なのですが。遅くなってます、すみません。

>守られる存在である事を悩み続けている士郎がどう強くなるのか
男の子は強くあってほしいもんです。個人的には(苦笑)