Fate/gold knight 7

 帰宅して買った洋服をしまうと、すっかり日が傾いていた。セイバーはいくつか買ってもらった服を、弓ねえのタンスにしまってもらうことにして一緒に彼女の部屋へと引っ込む。
「こんにちはー、じゃなくてただいまー」
 帰りに買って来た食材を取り分けて夕食を作っている最中に、遠坂が荷物を大量に持ったアーチャーと一緒にやってきた。まるで自宅のように当たり前に玄関を開けて上がり込み、台所で料理している俺に向かって大声で呼びかけてくる。
「しろーう! 奥の離れが空いてるって言ってたわよねー?」
「おー、ほとんど空いてるぞ。ただ、一番手前の部屋は弓ねえの部屋だからそこ以外な」
 いやもう、覚悟を決めるしか無かった。どうせ元々うちには弓ねえがいるし、藤ねえもよく泊まりに来るしであまり問題はないんじゃないかなーと思ったわけだけど。
 ――って。
 『しろう』?
「おい、遠坂。何でいきなり呼び捨てなんだよ? 今朝までは『衛宮くん』だった癖に」
 思わず、鍋を持ったまま台所から顔を出す。遠坂は「ん?」と荷物を持ち直しながらこっちを見て、にんまりとどこか悪戯っ子のような笑みを浮かべてみせた。おい背後のアーチャー、自分は何も知らないって顔でそっぽ向くな。お前のマスターだろうが。大体、その大量すぎる荷物を持って格好付けても笑えるだけだぞ。
「いいじゃないの。え・み・や・く・んで五文字、し・ろ・うで三文字。短い方が言いやすいし」
 いや、あのな。何でそこでわざわざ文字数を指折り数えてみせるんだよ。というか、文字数の問題じゃなくてだな、遠坂。
「そうじゃなくて、何でいきなり呼び方が馴れ馴れしくなってんだよ」
「あら、そうかしら? だって一応一つ屋根の下に住むことになるわけだし、それで他人行儀なのもどうかと思うわよ。弓美さんは『弓ねえ』だし、藤村先生は『藤ねえ』だし、間桐さんは『桜』だし」
 ふふん、と胸を張って偉そうな態度を取る遠坂。ああ、そのポーズは二人の姉貴でさんざん見飽きてるよ。勘弁してくれ。
 ――特に弓ねえとボリュームが違う、ということは絶対に口には出さないでおこう。何だか花畑か河原が見えそうだから。
「そりゃ、弓ねえと藤ねえは俺の姉貴だからな。それと、桜は名字で呼んだら慎二とごっちゃになるんだよ。大体、兄貴が名前で妹が名字ってのは変だろ?」
 まあ、そういう台詞は頭の中だけにしておいてきちんと返答する。桜を紹介してくれたのは慎二だけど、その時にもう慎二のことは慎二って呼んでいたし。だから、なし崩しに桜のことも桜と呼ぶようになっただけで。
 それでそう答えたら、遠坂は何かを考え込むような表情になった。僅かに俯いた視線が揺らめいて……少し間があって、彼女は顔を上げる。その時にはもう、俺のよく知っている遠坂凛の表情に戻っていた。
「……ん、まあそれもそうよね。士郎、間桐さんとは仲良いの?」
「仲良いっていうか、もう家族の一員だな。俺にとっては妹みたいなもんで、あと料理の弟子」
 そう。桜に対しては、友人の妹とか学校の後輩とかいう感覚よりも家族という意識が強くあった。そもそもは一年半前、バイト先で俺がうっかり右肩に怪我をしてしまったことに始まる。その話を慎二から聞いたらしい桜が、家事を手伝うと言い出して家に通うようになったのが、今までずっと続く形になっている。最初は俺も遠慮したんだけど、二人の姉が揃って桜を歓迎したからなぁ。で、来てくれたのは良かったんだけど料理の腕が……そのなんだ、まあそういうことだったんで自然と俺が教えることになってしまった。幸い姉上どもと違って桜は上達が早く、今では下手すると追い越されそうな勢いだ。少しは見習え、姉。
「へー、そうなんだ。………………よかった」
 ぽつん、と遠坂が呟くのが聞こえた。何だろう遠坂、桜のこと気にしてるんだな。
 そう、まるで俺のことを気に掛ける姉上たちみたいに。


  Fate/gold knight 7. あおいよる


 その日は遠坂たちの歓迎、ということで夕食を少し豪勢にしてみた。といってもおかずの種類とデザートを増やしただけなんだけどな。本当はアーチャーの分も用意しようと思ったんだが、遠坂曰く。
「普通のサーヴァントはね、マスターからの魔力供給さえ十分なら食事なんかしなくていいのよ。弓美さんは受肉してるし、セイバーは魔力供給してもらえないっていう特殊例なんだからね」
 ……ということで、あいつは今屋根の上で周囲を警戒してくれているんだそうだ。好きになれるかって聞かれたら多分なれないって答えるだろうけど、それでも一人は寂しいと思うんだけどなあ。
「いいのよ、気にしなくて。今夜はお月様が青くて綺麗だから、あいつも月見気分でいいんじゃないの?」
 遠坂。月見は二月の冬空でやるもんじゃない。風邪引いたら困るだろ……って、サーヴァントは基本的に風邪引かないんだっけ。弓ねえは遠坂曰くの特殊な事情って奴で。
「はむはむ、はむはむ」
 ……いや、だから。セイバー、お前の分は誰も取らないから落ち着いて食べてくれ。何で食事時なのに武装してるんだよ全く。もしかして勝負服、とか言わないよな?
「これ、愚弟」
 彼女のお代わり三杯目をドンブリに盛っていると、金の姉上がちらりと視線を向けてきた。たっぷりの髪をポニーテールに結うと、普段とはだいぶイメージが変わってくる。……いや、本気で食事する時のモードなんだけどな。しかし、何で髪切らないんだろう。ショートの弓ねえも、それはそれで格好いいと思うんだけどな。
「何? 弓ねえ」
「今日の夕食は力が入っておるの。学園のアイドルを家に迎え入れるがかように喜ばしいか?」
 に~っこり。無邪気に見える弓ねえのこの笑顔、実は裏に何やら積もっている時の笑顔だ。しかし、何で遠坂のことでこの笑顔になるんだ? 姉上。
「な、なんでさ!? そ、そりゃ少しは……いいだろ、俺だって男だぞっ!」
「あ、そういえばそうだったわねぇ。エプロンが良く似合っているから忘れてたわ」
「ふむふむ……シロウ。女性に興味を持つのは結構ですが、心の伴侶は一人に定め置くべきです。即刻選べとは申しませんが」
 俺の反論に、遠坂とセイバーが一斉に身を乗り出してきた。つーか、何で夕食の話が俺の話になるんだっ!? いや、女三人に男一人っていうこの状態で、俺が弄くられるのは目に見えていたはずなんだけど。
「いや、姉としては弟に良い伴侶がついてくれると安心なのだがな。桜も良いが、凛もなかなかだと思うぞ」
「あら、それは褒めてくださっているのかしら? お姉様」
「けなしておるように聞こえるか?」
 あー……あかいあくまと金の姉上が意気投合してるよ。俺、聖杯戦争終わるまで無事かなぁ……主に精神面で。ははは、何だか摩耗してしまいそうだ。髪が白くなって……何でアーチャーが思い浮かぶんだろうな。
「すみません。シロウ、お代わりをいただけますか?」
 おずおずとセイバーがすっかり空になったドンブリを差し出してきた。セイバー、食べるの早いな。財政面は……しょうがない、弓ねえに頼るか。はぁ。

 食後、セイバーは魔力温存のために眠ることにして、客間に敷いておいた布団に潜り込んだ。今日は天気が良かったから、日の当たる室内に広げておいただけでも結構布団はふかふかになっている。
「申し訳ありません、シロウ」
「謝るのは俺の方だよ。ともかくぐっすり寝てくれ、明日の朝食も頑張るからさ」
「はい。期待しています」
 ものすごーく済まなそうな顔をしながら、セイバーは襖を閉めた。悪いのは、ちゃんと魔力を供給してやれないヘッポコマスターの俺なのにな。……にしても、明日の朝からどのくらい朝食を作ればいいんだろ。
 後片付けは弓ねえが「そのくらいなら出来るわ。サーヴァントをなめるでない」とばかりにやってくれることになった。ので、俺は遠坂に呼ばれて彼女の部屋を訪れた。うちとはいえ女の子の部屋なので、入る前には扉をノックする。
「おーい、遠坂。来たぞー」
「え、あ、士郎? ちょ、ちょっと待ちなさい、今開けるから!」
 中から遠坂の慌てたような声、それに続いてばさばさがちゃがちゃという何か物を片付けているような音が聞こえてきた。あのな、人を呼び付けておいてそれかよ。
「……お待たせ。入っていいわよ、士郎」
 しばしの後にOKが出たので、失礼しますと声をかけて中に入る。と、そこに広がっていたのは実に見事な『魔女の研究室』だった。そうか、アーチャーが持っていた重そうなカバンの中身はガラスの器具だったり資料書物だったり薬草その他だったりしたわけか。そりゃ重いよな。
「はい、じゃあとりあえずそこに座って」
「おう。けど何だ? 作戦会議か?」
「違うわよ。言ったでしょ? わたし、あんたの魔術の師匠になるって」
 ――ああ、そういえば言われたな。俺がせめてまともなマスターとして聖杯戦争を戦えるように……あのバーサーカーを倒して、少しでも先に進むためにって。
「そうか。つまり今から始まるのは遠坂先生の魔術講座、ってことだな」
「そういうこと」
 俺の台詞に遠坂はどこか満足げに頷いた。う、その口の端に浮かんだ歪みは弓ねえと同じモンだぞ。いわゆる『いじめっ子』の笑い方だ。
「……とはいっても、まずは教える生徒の実力を知らなくちゃ話にはならないのよね。士郎、使えるのは強化だけだったわよね?」
「おう。解析も使えるけど、それじゃ戦力にはならないだろ」
 昨夜、ガラスの修復を俺が出来ないって言った後。遠坂は俺に、じゃあ何の魔術を使えるのかと問うた。それに対する俺の答えは『強化くらいしか使えない。成功率は低い』だった。正確に言えば投影の方が簡単なんだけど、あれは使い勝手が悪いから使わない方がいいって生前の親父に言われてるからなぁ。だから、まともに使えるのは強化くらいってことになる。『まともに』といっても、大して成功しないんだけど。ランサーに襲われた時に一発で成功したのが不思議なくらいだ。
「そう。で、成功率低いって言ってたわよね。どんなもんかしら?」
「……正直言うと、一桁パーセント」
「は?」
 素直に答えると、遠坂は口をぽかーんと開けっ放しにした。いや、確かにへっぽこだけど、そうまで呆れることないじゃないか。ちくしょう、自覚はしてるんだよ。
「……何でそんなに低いのよ。魔術の修行始めてどれくらい?」
「親父に引き取られて二年たってから。だから八年になるかな」
「八年? ……ほんとに才能ないのね、アンタ」
「ぐっ」
 ずばずば言ってくれてありがとうよ、遠坂。おかげで自分のへっぽこさを再確認できたぜ。投影だって、中身のないがらくたしか作れないし。
「……でも、成功率が低いとは言え強化魔術を使うことはできるわけね。それもほぼ独学で」
 ふっと遠坂が真剣なまなざしになる。口元に手を当てて、何事かを考え込んでいるようだ。……俺の問題について、だよな。一人でやっていると分からない問題も、誰かに聞けば分かるかもしれない。うん、遠坂に来てもらってよかった。
「そうすると……うん、一度目の前で実演してもらうのが一番分かりやすいか」
 しばらく考えてから頷いて、遠坂は棚の中から小さなランプを一つ取り出してきた。それを目の前にぽんと置いて、彼女は椅子にどっかりと座る。
「はい。じゃあ士郎、これ強化してみて」
「え? あ、でも壊すかもしれないぞ?」
「いいわよそんなの、一杯あるから。さ、やりなさい」
 俺の心配は、きっぱりと一言で返された。まあ、やれって言うのならやるしかないか。それに、俺の魔術行使の欠点を見つけてくれればこれから先、物を破壊する確率は減るはずだし。
「……じゃあ。同調、開始」
「!?」
 いつものように魔術回路を作り始めた途端、遠坂の顔色がざっと青ざめるのが分かった。けれど、そっちに気を取られていたら失敗するのは目に見えていたから、俺は構わずに魔術回路を作り上げた。それを背中に通す……これもいつものことだけれど、やはりきつい。
「……基本骨子、解明」
 魔術回路を通し終えた。次は……ランプの強化だから、まずはその構造を見極める。学校で機材の故障箇所を発見するのと同じ要領だ。これだけなら、回路がなくてもできるんだけどな。
「……く。構成材質、解明」
 よし。大体構造は分かったから、続いて材質の解析に入る。作っている素材とその構造が分かれば、どこに魔力を流し込めばそのものを強化できるかが分かる。
「構成材質……補強っ……」
 材質解析まで終了。後は、魔力を通せる部分に俺の魔力を流し込んでその構造を強化するだけなんだけど……うわ、止まらない!
「士郎っ!」
 パリン!
 遠坂が俺の名を呼ぶと同時に、俺が手に持っていたランプが音を立てて割れた。やっぱり失敗か……魔力を流し込み過ぎたせいで、ランプの魔術的構造がパンクしてしまったんだ。
「……やっちまった」
 というわけで、俺と遠坂の目の前には、俺のミスで弾けて壊れたランプの残骸が散らばっていた。こりゃ見事に燃えないゴミだ。ガラスが砕けてるから、ホウキとちり取りと粘着テープで片付けないと危ないな。
「悪い、遠坂」
「……」
「いっぱいあるって言ってたけど、やっぱりちゃんと弁償するから」
「……」
「ちゃんと投影して返せりゃ良かったんだけど、俺じゃあ歪んだ物しかできないから……ほんとごめん」
 遠坂のものを壊したのは事実だから、頭を下げて謝る。けど、遠坂は砕けたランプの破片をじーっと睨み付けて動かない。えーと……俺、何かおかしいのかな? いや、魔術行使始めた時の顔色の変化から見て、俺の魔術の使い方がどこかおかしいってのは間違いないんだけど。
「……とりあえず、基礎の基礎から叩き込まなきゃいけないっていうのはよーっく分かった」
 地の底から響くような遠坂の声。何か妙に殺気立っているのは気のせいじゃなさそうだな。ああ、やっぱり俺、変な魔術行使の仕方してたんだなぁ。ああよかった、ちゃんと見て貰って……なんて思ってると、がばっと顔を上げた遠坂がびしすと人差し指を俺に突きつけてきた。うわ、眉間にしわ寄せて怒ってるよ。綺麗な顔が台無しだろ、そういうしわって取れなくなるんだぞ。
「あのね。何で一々魔術回路を作るのよ? ふつーは一度できた回路のスイッチをオンオフするだけでいいんだから」
「え、そうなのか?」
 それは初耳だ。というか親父、そういうこと何も言ってくれなかったぞ。
「そうなのか、じゃない! ……魔術の修行八年やってるって言ってたけど、まさか毎日毎日今のやってた訳じゃないでしょうね?」
「やってたけど。ほぼ毎日」
「あほか――――――っ!!」
 どかーん!
 ……そんなところまで姉上と一緒じゃなくったっていいだろう、遠坂凛。ああ、うちに弓ねえがもう一人増えた。金の弓ねえと、赤の弓ねえ。通常の三倍が二人って、考えるだに恐ろしい。
「それ、どう考えても気の長い自殺よっ! ……あんた死ぬ気?」
「そんなわけないだろ。大体、そういうこと誰にも教わらなかったし」
 俺が修行を始めた頃には、親父はあっちこっちを飛び回っててめったに家には帰らなかった。そのうち家にいる時間が増えたけど、その頃にはもう衰弱が進行していて、修行を見てもらうどころじゃなくなっていた。だから、親父は俺に問題があったとしても多分、気づいていなかっただろう。
 同居人はもう一人、弓ねえがいる。だけど最初は姉にも内緒の修行だったし、そもそも彼女は俺と一緒で魔術の知識はあんまりなかった。だから、問題がどこに存在するのかも分からなかった。
「ああもう、しょうがないわね。えーと……」
 それを遠坂に言うと、彼女は呆れ顔で肩をすくめた。それから、机の上の引き出しを何やらゴソゴソ探り始め……ややあって、小さなドロップみたいな石を取り出してきた。
「はい、これ飲みなさい。問題解決の特効薬よ」
「特効薬? そんなのあるんだ」
 手渡されたそれを、何の疑いもなく口に放り込む。ドロップじゃなくて石だから、なめ回したところで溶けないし味もあったもんじゃない。ごくりと飲み込み、それを胃の中に送り込んだ。
 僅かに間を置いて、それは来た。
「――っ!」
 腹の中から、急に全身に熱が伝わった。頭がくらくらして、うまくバランスが取れない。床に座っていなけりゃ、今頃ぶざまにひっくり返っていただろう……いや、今にも倒れそうなんだけどな。
「大丈夫? その状態、明日までは続くと思うから」
「――あ、ん、なんと、か」
 遠坂の声がどこか遠くから聞こえてくるみたいに響く。風邪のせいで熱が出て足元がふらふらふわふわしてる、って感覚だ。まあ何とか慣れたし、姿勢を立て直してゆっくりと魔術の師匠を見上げた。
「……今ね、士郎の体内の魔術回路を強制的に活性化させてる状態なの。その状態を身体に覚えさせたら、身体は自分を守るためにスイッチを作り上げるから。そうしたら後は、そのスイッチのオンオフを切り替えるだけでいいわ……さっきみたいな無茶をしなくても、魔術行使が可能になる」
 なるほど。遠坂の説明に得心がいった。今の高熱状態は魔術回路が頑張ってるせいだから、度が過ぎないように肉体が回路の動作を止めるためのスイッチを作る。出来たスイッチは魔術回路の動作を止めるだけでなく、動かすためにも使われる、と。
「……そっか。ありがとな、遠坂」
「あのね、こんなのは魔術師の常識なの。普通は一度魔術回路が開けば、勝手に身体がスイッチを作るのよ」
「……ははは」
 返す言葉がない。つまり俺の身体は、そこまでへっぽこだったってことか。『普通は』勝手に作るスイッチを、俺の身体は作らなかったんだからな。
「それにしても、あんたタフね。強制的に魔術回路を開かれて、結構平然と歩いたり話したりできるなんて」
「そう、かな?」
「ひっくり返って動けなくなっても驚かないわよ。そのくらいが普通でしょうから」
 前言に追加。俺の身体は、妙に丈夫であるらしい。自覚はないんだけどな。まあ、遠坂によれば俺の八年間の修行はかなり無茶だったらしいから、知らず知らずのうちに鍛えられたんだろう。気の長い自殺なんて言われたら、微妙にやる気なくすけど。
「ともかく、今日はもう寝なさい。見張りは引き続きアーチャーにやらせるから、心配しないで」
「……あー……すまん。うん、風呂入って寝る」
 そう遠坂に促されて、よいしょと立ち上がる。一瞬足がふらついたけれど、このくらいなら何とか持ち堪えられるかな。すげぇ、綿の上でも歩いてるみたいに足元がふわふわする感覚。うん、まあ何とかなりそう。
「そうね。じゃ、お休みなさい。士郎」
「おう、お休み。……遠坂、ありがとな」
 帰り際にそう言ったら、扉の向こうに消える遠坂の頬が少し赤くなっていた。何でだろ。

 で。
「……どうであった、士郎?」
 振り返った瞬間、金の髪が視界一杯に広がった。セイバーは髪をまとめているから、これは間違いなく我が姉上の髪だ。ほら、いつもの仁王立ちポーズで廊下を自分のステージにしちまっている。トレーナースタイルってことは、風呂から上がってきたところかな。
「弓ねえ、遠坂の部屋の前で何してんのさ」
「何って……た、たまたま通りすがっただけぞ。断じて、食器の片付けと風呂を済ませた故そなたの様子を見に来たわけではない」
「何だ、そっか」
 ぷいと頬を染めながらそっぽを向いた弓ねえ。口じゃあんなこと言ってるけれどきっと、俺のことを心配して来てくれたんだ。実に心配性な姉上だけど、正直身体と気分の重い今はありがたい。
「む、何をじろじろ見ておるか……顔が赤いぞ。熱でもあるのか?」
「あー、まあな。遠坂によれば、魔術回路のスイッチを作るために強制的に開いてるんだって」
 手早く自分に起きている事情の説明をする。と、弓ねえはうっすらと目を細めてぽん、と俺の頭を軽く叩いた。軽くと言っても姉上は俺より背が低いから、僅かに背伸びをしたのが分かった。
「ふむ。では、とっとと布団に入れ。風呂など明日の朝にすればよい」
「……そうすっか」
 さすがにジャグジーとかはないけれど、うちの風呂は寒がりな弓ねえの為に浴室と脱衣所に暖房がついている。だから冬の朝風呂でもわりと湯冷めすることは少なく、そのせいで実家に住んでいるはずのもう一人の姉もよく風呂に入っていく。まあいいけど……脱衣所を出る時に、ちゃんと上に何か羽織るのが原則だけどな。
「そら、早く眠るがいい。周囲の監視は凛のアーチャーが任されておる、案ずることはない」
 背伸びしたまま、弓ねえは俺の髪をクシャクシャと少し乱暴に掻き回す。それから俺の顔を両手で包み込んだ。あ、弓ねえの手、冷たくて気持ちいい。そうして俺を覗き込む顔は、なぜだかむすっとしていた。何か怒らせるようなこと、したかな?
「そうする。明日くらいまではこんな感じが続くって遠坂言ってた」
「そうか」
 ――弓ねえ、そんなに俺のこと心配すんなよ。明日には落ち着くから、大丈夫だから。
 そう心の中だけで呟く。口に出して言えば、きっと弓ねえは心配などしておらぬ、なんて言ってそっぽを向いてしまうだろうから。たまにはこうやって、姉貴の意識を引き留めておきたいのは弟としてわがままかな。多分、わがままだな。
 と、こつんと何かが額にぶつかる感覚があった。意識を引き戻すと、視界一杯に弓ねえの心配そうな顔。えーと、これはおでことおでこをこっつんこして熱を計る、というシチュエーションか? それなら普通は前髪をどけるだろうに。
 額を擦り付けるようにしていた弓ねえが、ふっと顔を離した。むにむにと頬を軽くつまんだり引っ張ったりするのはやめてほしいなー。丸い頬で目が大きくて、俺が自分の童顔気にしてるの知ってるくせに。
「ふむ、やはり熱があるの。場合によっては明日、学校を休ませるからな」
 だから、頭をなでなでするのもやめてくれ。俺、弓ねえの弟になってからもう十年たつんだぞ。何でそう、出会った当初と同じような扱いするかなあ。
 ……でも、俺をめちゃくちゃ心配してくれてるのだけは分かったから、それには大きく頷いた。
「おー、了解。その代わり、もし休ませる気なら弓ねえが藤ねえを説得してくれよ?」
「うむ、その辺は我に任せおけば良い。ともかく、そなたはゆるりと休め」
 藤村大河の説得にかけては、衛宮弓美の右に出る者はいない。二人の姉と十年つき合ってそれがよーく分かってるから、藤ねえを説得しなくちゃならない時はまず弓ねえを味方につけることにしている。というか、何でか弓ねえは俺の味方してくれることが多いんだよな。多分、『魔術師見習いの端くれ』と『記憶を失くしたサーヴァント』っていう、藤ねえには明かせない秘密を共有してるからなんだろうけども。
「……とっとっと」
 あ、やべ。歩き出したところで足がふらついた。思わず弓ねえに寄りかかる形になってしまう。姉上はサーヴァントなだけに力は強いんだけど、でも自分より小さい女の子に寄りかかるっていうのは男としてどうなんだろう、俺。
「全く。手間をかけさせる弟だの」
 と、弓ねえの腕が俺の背中に回されるのを感じた。これでも結構筋肉質だからそれなりに重量があるはずの俺の身体を、何でもないように姉は支えてくれる。
「弓ねえ?」
「部屋まで連れて行けば良いのだな?」
 またもやそっぽを向いて、人の答えを聞く前にズンズンと足を進める金色の姉。俺は素直に力を借りることにして、そろそろと足を運びながら呟いた。
「……あ、うん。助かる、ありがとう」
 あ。弓ねえ、耳が少し赤くなってる。弟に礼を言われただけで赤くなる姉ってのも問題かなぁ。俺、感謝すべきことがあればちゃんと礼は言ってるはずなんだけど。
「たわけ。我はそなたの姉ぞ。弟は姉に頼って良いのだ、それが我が弟たる特権ぞ」
「――うん」
 その言葉に甘える。弓ねえの全身が俺の体重を受け止めて一瞬こわばったけれど、その後は何でもないようにしっかりと俺を支えた。弓ねえの身体は俺と違って柔らかくて、少し冷たいけど良い匂いがする。そういえば風呂済ませてたんだよな。シャンプーは日中にやってしまうことが多いから、今はボディシャンプーの香りだ。
 身体がちっこくて、わがままで、傲慢で、尊大な姉だけど。
 こういう時は、本当にあんたの弟で良かったと思う。
 ありがとな、弓ねえ。

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この記事へのコメント

風まかせ
2006年05月12日 22:56
わぁ。ほんとに姉っぽい。違和感無いですね。

今回は見た目豪華絢爛な日常風景。原作でも好きなシーンですし、面白かったです。

今後は戦闘シーンが入るのかな。戦力が偏っているので戦いは派手に成りそうでこれも楽しみです。
かっぱ
2006年05月12日 23:44
ちゃんと姉貴をしている弓ねぇがたまりません!!
思わずFateを再プレイしてます(笑)

次回も執筆がんばってください。
T2
2006年05月13日 02:52
いい話ですよねぇ。弟を心配する姉。そして、弟はそんな姉に心配をかけまいと頑張る。まだ、弓姉のスタンスは「姉」のようですが、ここからどう転ぶか楽しみにしています。
蜜柑
2006年05月14日 19:12
ss-linkから来たのですが素敵なお姉さまを拝見できて思わず書き込み致しました。弟を心配する姉以上に弟の方がシスコン気味なようですが、こんな姉がいたら私もシスコンになりそうなので士朗のことはいえませんが。

ここからどう話が進んでいくのか、はたしてこの二人は姉弟関係から恋愛関係に変わるのか、これからの展開が楽しみでなりません。次回も期待してます。
2006年05月15日 22:07
>風まかせさま
>わぁ。ほんとに姉っぽい。違和感無いですね。
ああ、良かった。こういう話の場合、一番怖いのが違和感なもので。

>戦力が偏っているので戦いは派手に成りそうでこれも楽しみです。
確かに士郎&凛陣営はサーヴァント3名ですが、全員剣振り回し組っていうのが結構ネックだったりします。まともな後衛が凛くらいなんですよ(どうした弓兵)。3人がかりで勝てなかったバーサーカーもいますしね。

>かっぱさま
>思わずFateを再プレイしてます(笑)
いや本編に弓ねえいませんから(笑)

>T2さま
>まだ、弓姉のスタンスは「姉」のようですが、ここからどう転ぶか楽しみにしています。
楽しみにしていてください。えーと、本編で元ネタが登場するくらいまで(かなり先です)。

>蜜柑さま
>ss-linkから来たのですが素敵なお姉さまを拝見できて思わず書き込み致しました。
いらっしゃいませ~。書き込みありがとうございます。

>はたしてこの二人は姉弟関係から恋愛関係に変わるのか、これからの展開が楽しみでなりません。
士郎が鈍感なのがかなり問題です(笑)

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