Fate/gold knight 16

 夢を見ている。
 いつも遊んでいる公園に突然出現した、傲慢でやんちゃな女の子。彼女と対立して、ある意味全面戦争みたいな喧嘩になったことがあった。その年代は男女とはいえ体力に極端な差があるわけでもなく、おまけに相手はやたらと頭の回転が速かったことを覚えている。対して俺は中央突破をしたがる悪い癖と、だけどどういう訳か相手の攻撃をかわすだけのカンを持ち合わせていた。
 で、自分の周囲の状況を把握しながら次々とトラップやらフェイントやらを駆使して仕掛けてくる女の子と、真っ正面から突っ込んでいく割に罠や攻撃は寸前でかわしまくる俺との戦いは結局、日没時間切れ引き分けという結果に終わった。
 まあ、互いに覚えていろ、というあまり褒められたものではないセリフを吐きながらぷいと背中を向け合うハメになってしまったわけだけどな。もっともその後、彼女と再会する機会はついに訪れなかったけど。あの女の子、今はどうしているんだろ。
「お帰り士郎……あれ、どうしちゃったんだい? それ」
 それはともかく、罠に掛かることはなかったものの直前でかわした余波やら何やらで傷だらけになりどうにかこうにか家まで帰ってきた俺を、切嗣は目を丸くして見ているだけだった。
「早う来い。父はこういうときはあてにならぬの、まったくもって」
 そして、呆れた声を上げつつ俺の手を引いてくれたのは金色の姉だった。もっともその治療は傷を水で洗って消毒液ぶっかけて絆創膏ベタベタ、という乱雑なものではあったけれど。
 そうして消毒液臭くなった弟の頭を撫でながら、姉は俺の語る武勇伝……というよりは子供同士の下らない諍いの顛末をじっと聞いていてくれた。
「……なるほど。士郎の馬鹿さ加減がなければ勝てていたかもしれぬな」
「う……俺、馬鹿か?」
「当たり前だ。向こうを上回る知恵をもってすれば、小娘なぞ物の数ではないわ。それができぬのは士郎、そなたが馬鹿だからだ」
「……」
 当時小学生だったはずの弟にも手厳しかったなあ、この姉上は。自分のことを棚に上げているのは、この際置いておこう。
「ま、そこが士郎の欠点でもあり長所でもあるわけだがの。正面切って掛かっていくというのは、我は嫌いではないぞ?」
「あ、うん」
 また撫でられた。
 弓ねえにそんなことを言われるのは、俺は嫌いじゃない。自分を認めてもらえたようで、思わず知らず顔がほころぶ。
「何、今回は子供同士の戯れ事で済んだから良いとしよう。だがな士郎よ」
 俺の赤い髪をくしゃりと軽く掴むようにしてから手を離し、弓ねえは俺の目を覗き込んだ。血の色の瞳に自分が映り込んでいるようで、照れくさくて視線をずらしたいけれどずらせない。姉の視線は、何よりも強力だ。
 そうして視線に吸い込まれた俺の目をじっと見つめながら、金色の姉は自信満々の笑みを浮かべてこう言ってくれた。
「まことの戦となれば我を呼べ。我を頼れ。姉は弟を守るために存在する者ぞ」
「…………うん」
 弓ねえの口癖。それを聞くと、実のところ俺はいつも『男は女を守るもんだぞ』と反論したくなる。もっとも腕力や脚力で俺はまったく弓ねえに敵わないから、その反論は実力をもって潰されるのがオチだった。一度身をもって経験したから、よく分かる。いやあ詐欺だ詐欺。今の遠坂じゃないけれど。
 で、俺とは別の方向に異議を申し立てる人物がこの家には存在した。というかずっと見てたのかよ、親父。
「弓美だって割と正面からぶつかるタチじゃないか。力で押しつぶすのは君、得意技だよ?」
「だ、黙れっ切嗣」
 ……改めて親父に言われるまでもなく、姉貴も俺と同じタイプなのは分かっている。そうでなければ『実力で』潰されてるわけがない。親父はそこそこ口車うまいんだけどなあ。何でそれが伝染しなかったんだろう……俺にも、弓ねえにも。
「いや、このくらいは口を出させて貰うよ。一応僕は君たちの父親なんだからね」
 その親父がやんわりと、俺と弓ねえの間に割り込んでくる。その、笑ってるんだけどどこか冷えた視線に、俺たちはぞくりと身を震わせた。我が子にはめったに見せない、そんな表情──もしかしたら、弓ねえの失われた記憶のどこかには存在しているのかもしれないけれど。
「弓美はさあ、よく士郎のこと力ずくでねじ伏せて言うこと聞かせてるじゃないか。士郎が口で言っても聞かない場合に限られるけどね」
「うむ、その通りだ。我は口で済むことを腕で為そうとは思わぬ」
 親父のセリフを肯定しながら、腕を曲げてみせる姉上。ほっそりしたその腕ががしりと固くなり、子供の俺一人くらいなら余裕でぶら下げられることは知っている。その腕をぺん、と軽く叩いて親父は、どこか力のない笑みを浮かべながら俺たちを交互に見返す。後から思えば、このとき既に親父の寿命はカウントダウンに入っていたんだろう。もっとも、この頃の俺と弓ねえがそれに気づくことはなかったのだけれど。
「だけど、例えば口で言うことは聞かないけれど、その間になにがしかの罠を仕掛けているような相手が挑んできたらどうするね? 君も士郎も、正面から突っ込んで罠に掛かるのがオチじゃないかな。士郎と今日喧嘩した相手の子はそういうタイプなんじゃないかい?」
「ぐっ」
「むっ」
 思わず二人して息を飲んだ。確かに、あの女の子はそういうタイプだった。いつの間にか草が結ばれてたり、浅いけれど落とし穴が掘ってあったりしたからな……本当にいつの間にか、まるで魔術でも使ったみたいに。
「弓美も士郎もね、本当ならそういった罠や企みを見抜く目を持ってると僕は思うんだ。だから、どっちかが先頭に立ってどっちかがそのフォローをするようにすればいいんじゃないかなあ」
 親父の意見に、もう一度俺の喉が鳴る。
 ……俺に、罠や企みを見抜く目がある?
 自慢じゃないけれど、そういう頭を使うようなことはあまり得意じゃない自覚があるのに。
 ちらりと横を見たら、弓ねえもぽかんとした顔だった。姉貴も俺と同じ事を考えているんだろうな。
「二人とも、僕の言葉が信じられないって顔してるねー。ちょっとショックだなあ」
 そんな俺たちを見比べて、親父は苦笑する。それから両手を伸ばして、俺たちの頭を同時にくしゃくしゃと撫でた。これは多分、親父なりの愛情表現だったのだろう。親父、何だかんだで結構不器用だったからなあ。
「でも、これだけは信じてくれ。君たちはお互いを力ずくでねじ伏せるんじゃなくて、互いの良いところを引き出して助け合う事ができれば最高のパートナーだと、僕は思っているんだよ」
「できればも何も、我らは最高の姉弟ぞ。そして、そなたの子だ」
 ふん、と僅かに横を見ながら顔を赤らめていた姉貴の返事に、親父は満足そうに頷いた。

 ……夢だ。
 目を覚ましてやっと、それを自覚した。
 それまでの過去を失い、新しい名字と家族を得てから少し後の話。
 まだ俺は弓ねえの秘密を知らず、ただガイジンさんの姉貴ができちゃったなあとぼんやり考えていただけで。
 弓ねえは記憶のないまま、俺を弟として構ってくれていた、あの頃。
 当時はこんな風に、同じ布団で姉貴と一緒に寝たことも──

「はい?」

 ──目の前にあったのは、大変に熟睡中の我が姉上のとっても幸せそうな寝顔でした、まる。


  Fate/gold knight 16. にじいろあさげ


「~~~~~!!」
 思わず絶叫しそうになった自分の口を、力任せに押さえ込む。一瞬息苦しくなって、花畑の向こうから親父が手を振っている光景が見えたということは抜群に秘密だ。まあ、叫び声を口の外に漏らさないという目的はきちんと達成できたから良しとしよう。
 それにしても、何だかこんな光景、初めてじゃないような気がする。
「……はて、何だっけ」
 姉貴を起こさないようにそーっと身体を起こしながら、ぼそりと呟いてから思い出した。
 俺が姉貴とセイバーを庇ってバーサーカーに斬られた、その翌朝。あの時は確か、俺が大怪我をしたので弓ねえが付き添ってくれていて……そのまま俺の布団に潜り込んだんだっけか。
 室内を見回していると、その時とは状況が逆らしいということがはっきりした。家の離れの一室、つまりは洋室。クローゼットやカラーボックスには姉貴が暇に飽かせて集めまくった雑多のコレクションがかなり適当に並べられていて、その中心たるベッドの上に俺と、弓ねえが寝ていたわけだ。厳密に言うと、姉貴のベッドに俺が潜り込んで添い寝していた、ということになる。なんでさ。
「…………あ、そういえば……」
 働かなかった頭が動き始めると共に、昨夜遅くに起こった事態の記憶が甦ってきた。
 キャスターに拉致られた弓ねえはアーチャーのおかげで助け出され、柳洞寺を脱出してきた。アーチャーは自分の腕に抱えていた姉上を俺に渡して、自分は俺たちの先導を買って出た。そこから家までの道程は何だか妙に長く感じられて、そのせいか身体が冷え切ってしまったことを覚えている。そりゃまあ、真冬の夜中だからなあ。ちゃんと寒くないような服を着てはいたけれど、足元からじわじわと迫ってくる冷えには敵わなかった。
 皆で帰ってきた家はどこか寒くて、だけどやはり落ち着ける場所なのだと実感させられた。身体を温めるために、とアーチャーが淹れてくれた日本茶が全員に一杯ずつ配られる。セイバーもアーチャーも遠坂も、そして弓ねえも一言もしゃべらずにただ、緑色の液体を喉の奥へと流し込んだ。
 で、問題はその後。
『士郎……済まぬ、一人では眠れぬ』
 お茶を飲んでいる間も俺の膝の上にいた──しがみついたまま離れなかったんだから仕方がないじゃないか──姉上は、いざ寝る段になってそう言い出した。寒かったのか鼻をぐすぐすさせながら、皆に顔を見せたくないように俺の腕の中で縮こまっている。いやだから遠坂、セイバー、そんな白い目で見ないでくれ。頼むから。
『駄目です、シロウ! 男女六歳にして席を同じゅう……とは言いませんが、いくら姉とはいえ同衾などもってのほかですっ!』
 我が家の風紀委員を自称するセイバーが、夜中にもかかわらずがあーと吠えた。遠坂はというと、ちゃぶ台に肘を突いてにやにやいじめっ子みたいな顔でこっちを見てる。アーチャーの奴は湯飲みを片付けていたけれど、こちらから見えるその背中が微かに震えているのが分かった。この野郎、笑いを堪えてるだろう。見なくても分かるぞこんちくしょう。
 まあ、それはさておき。
 サーヴァントであるということを除くと、今の弓ねえは『悪人に誘拐されて危ないところを助け出された女の子』だ。その彼女が一人じゃ眠れない、と言うのはおかしくないと説得した。んで、姉貴が俺から離れない以上、俺がついているしかないわけで。そういうことでセイバーも矛を収めてくれた。
 そうしてアーチャーは見張りに、他一同は眠りについて……現在、朝の六時。
 目が覚めてみたら、この状況だったわけだ。何となく、屋根の上もしくは台所であのヤロウがにやにやしている様子が目に浮かぶぞ。この時間なら多分台所だろう……きっと今日も、俺や桜がよく作っているような和風の朝食をいそいそと準備しているに違いない。何故か、断言できる。
 ともかく、一晩弓ねえと同じベッドで眠っていたのは今更取り返しようもない事実だ。セイバーに知られたら……まっぷたつかなあ、縦に。
「……あー、考えていても仕方ないけど……やっちまった~」
 この後のフォローを考えて、頭を抱えたくなってしまった。この前は姉貴が潜り込んできたことを怒った自分が、舌の根も乾かぬうちに同じ事をしてるわけだからな。はあ、説教は覚悟しておこう。
「んん……」
「弓ねえ?」
 がさり、と布団の山が動いた。もそ、とその中から顔を覗かせたのは、どこか不安げな表情の金色の姉。元々肌の色は白いけれど、今朝はそれを通り越して青白い。
「士郎……」
「起きたか? 弓ねえ。おはよう」
「……おはよう」
 それでも、この姉はきっと俺を心配させまいと思ったんだろう。
 朝のあいさつを口にした姉貴の表情は、いつものふんわりした笑顔だった。
 そんな笑顔を無事に見られたことは、俺にとって小さいけれど何物にも代え難い幸せで……
「いつまで疑似新婚夫婦をやっている。起きたのならば朝食の支度を手伝え、衛宮士郎」
「見てたならもっと早く声を掛けてくれよな、アーチャー?」
「ただの姉弟水入らずのひとときではないか。少しは空気を読め、馬鹿者」
 ……いやほんと、空気読んでくれ。

 弓ねえの着替えを脇で見ているわけにもいかないので、俺は先に台所へ移動した。何かあったら大声を出すんだぞ、としっかり言い聞かせておいたから大丈夫だと思うけど……うーん。叫び声が聞こえて飛び込んだら下着姿の姉上、なんてことになったらただじゃ済まない。セイバーの再生能力に身を委ねることになってしまう。
 いかん、早く朝食を揃えないとそのセイバーと、もしかしたら藤ねえが怒る。主に空腹で。
「菜飯にアスパラガスのベーコン巻き、豚汁に温野菜サラダに温泉卵?」
「正解だ。まあ、このくらいは見て分からんとな」
 台所に並んでる作りかけの朝食をくるりと見回して、メニュー当てクイズ。アーチャーの言うとおり、このくらいは見て分からないと姉上専属シェフの名が廃る。というか、豚汁はさすがに匂いが漂ってきているし、これが分からなくてどうするか。
「ではベーコン巻きを任せる、どうせ後は焼くだけだからな。多めに作ってあるから、弁当にも入れるが良い」
「イヤミったらしく言うなよなー。素直に任されるからさ、……そのエプロン着けてくれたんだな、ありがとう」
 にっこり笑って礼を言ったら、奴は驚いたような顔をしてそっぽを向いた。むう、あれは照れていると取っていいんだろうな。機嫌が悪いわけではなさそうだし。昨日買ってきた赤と黒のシャープなデザインのエプロンは、奴にきっちり似合っているし。
 既にベーコンを巻かれているアスパラを、充分に温めて油を馴染ませたフライパンに放り込む。じゅうっといい音と匂いが俺の鼻を突き、それに呼応したのか胃袋がぐうと鳴った。
「臓腑で言葉をしゃべるな」
「悪かったな、豚汁が良い匂いしてるからだろ」
「褒め言葉として受け取っておこう」
 ものすごく言葉の少なく、そうしてきちんとした言葉のやりとりになっているとは言い難い会話。互いに顔を見るわけでもなく、視線はおのおの好きな方向を向いている。なのに俺はアーチャーの、アーチャーは多分俺の言いたいことを理解できている。
 本気でアーチャーの正体は、俺の前世だったりするんだろうかなあ。そう言われても本当の名前が分かるとかいうわけじゃないんだが。それに、俺の前世があんなイヤミ男なんていうのは何か嫌だ。何処がというのではなく、生理的に。
 そんなことを考えつつも、フライパンから皿に中身を移す。ベーコンの良い香りがこれまた俺の鼻と胃袋を刺激してくれる。くう、と鳴る胃袋の音が、大変に暢気だ。はあ、平和で良かった。
「士郎」
「おはようございます、シロウ、アーチャー」
 そんなことを考えていたら、弓ねえがセイバーを伴ってお出ましになった。ブラウンのフリースセーターと白のジーパンの姉貴、ブルーのショート丈Gジャンに黒の綿パンのセイバー……選び方が違うのか気が合ってるのか、対照的な感じで面白いなあ。
「おはよう。すぐに朝食だ、座っていてくれ」
「分かりました」
 アーチャーとセイバーの会話に、俺は何となく違和感というか何というか、奇妙な感覚を覚えた。何だろう……アーチャーが、セイバーに掛ける台詞が、優しい感じがするような。
「そこ、ぼうっとしていないでご飯をよそえ」
「あ、おっとっと。了解」
 そのアーチャーに指摘されて、慌ててしゃもじを手に取る。奴の向こう側に、白米を今か今かと待っているセイバーのわくわくした表情が見えた。何だかサーヴァントを餌付けしているようで、さっきとは別の意味で奇妙な感じだ。
 セイバーの分をドンブリに盛り、続けて手に取ったのは弓ねえ用の茶碗。さて、一晩置いたとはいえあんな事があった後だ。今朝は姉貴、どのくらい食べられるんだろう。
「弓ねえ、ご飯どれくらい?」
「少なめで頼む。その分をセイバーに」
「本当ですか!? ありがとうございます、ユミ」
 やっぱりあまり食欲がないようだ。小さく溜息をついているその姿が、何だか辛そうに見える。……同じ視界に入っているセイバーが妙にはしゃいでいるせいもあるんだろうけどな……藤ねえの上を行く大食漢は空気読んでくれてないし。
「了解。セイバー、あまりはしゃぐんじゃない。まるで俺が何も食わせてないみたいじゃないか」
「はっ。し、失礼しました、シロウ」
 俺がたしなめたら、急にしゅんとしぼんでしまったセイバー。何だろう、この子犬を怒ったような感覚は……ま、虎が吠えるよりはよほどましか。
 ん、虎?
「しろーおっはよぉ! ごはんごはん~」
「おはようございますっ! 遅くなりました、ごめんなさい!」
 通いの家族二人の声が玄関から届いたのは、ちょうどその時だった。遅いのはあと一人……
「……ぎゅーにゅー……」
 お、出てきた出てきた。遠坂、ゆうべは変な時間にたたき起こして悪かったな。しかし、制服はきちんと完璧に着こなしているのに何でああも意識が虚ろなんだろうな。無意識のうちに着替えてるんだろうか、器用にも。
 それはともかく。やれやれ、これでみんな揃った。いつもの朝だ。

「それじゃ、いただきます」
『いただきまーす!』
 そんなわけで、まるで何事もなかったかのように平和な朝食が始まった。俺も、まるで昨夜の話は夢じゃなかったかなと思ってしまいそうになるくらいの、平和。
「しろー、おかわりー!」
「シロウ、申し訳ありませんがお代わりをいただけませんか」
 何しろ、ほぼ同時にドンブリが二つ差し出されるような状況だからな。過ぎた危機より目前の危機、だ。はははあんたら、うちの冷蔵庫を自分たちの食料庫だと思ってるだろ。ま、美味しそうに食べてくれるからそれで少しは負けてるけどさ。
「はいはい。豚汁は?」
 ドンブリを受け取りながら尋ねてみる。悔しいことにアーチャーの豚汁は大変に美味く、一口飲んだ弓ねえがその顔をほんわかと緩ませたくらいだ。ちくしょう負けないぞこのガングロ。
「あるのでしたら、それもお願いします」
「セイバー、朝からほんとによく入るわねえ……藤村先生も」
「あら、だって美味しいご飯は一杯食べたいじゃないの。ねえ、セイバーちゃん?」
「おっしゃるとおりです。タイガ、あなたとはこの点では気が合う、私は嬉しいです」
「では豚汁は私が預かろう」
 茶々を入れる遠坂と、食事時はとんでもなく気が合う大食漢二名……そして、自分の手になる料理が大変好評なことに満足げな笑みを浮かべるアーチャー。俺をちらりと見てふふん、と鼻で笑った顔は一生忘れないぞ。いつか俺はお前を越える、ってなんでさ。
「セイバー、藤ねえ、はいお代わり……藤ねえ、時間大丈夫か?」
 自分の分のサラダを手に取りながら藤ねえに尋ねる。部活は自粛中だから、生徒である桜は俺や遠坂と一緒に出ればいい。だけど、これでも一応教職についているところの一名はそういうわけにもいかないだろう。
 朝食を手伝っている間に仕上げた弁当包みを、家に残るセイバーと弓ねえの分以外居間に持ち出してくることにする。どうせ、後片付けが終わればみんな登校するわけだしな。しかし、アスパラのベーコン包み以外きっちり揃えてしまっていたあたり、アーチャーという男なかなか侮れないのであった。本当に越えないと、何だか悔しいな。
「ん、そうねー。そろそろ出るわ。これでも教師は忙しいのだ」
 えっへんと胸を張る藤ねえに対し、遠坂と桜は互いの顔を見合わせる。そのタイミングと動きが絶妙で、何だかおかしい。俺とアーチャーじゃないけれど、動きのシンクロ率がかなり高いんだよな、この二人。
「藤村先生を見ていると、とてもそうは思えませんけどね」
「葛木先生でも、あまり忙しそうには見えないのよね。もっともあの人、暇そうにも見えないけれど」
 うんうんそうよねえと頷き合う二人。それを横目に見ながら少しあきれ顔の弓ねえにお茶を出し、そろそろ二杯目が空になるセイバーのドンブリを回収すべきか考えながら、俺は手早く机の場所を空けて弁当を並べた。
「藤ねえは普段が普段だからしょうがないよな。はいお弁当、みんなの分も」
「ありがとー、士郎。それじゃいってきまーす」
 その中で一番大きな包みを鷲掴みにして、虎の姉上は勢いよく居間を飛び出していった。きっと、獲物に飛びかかる虎ってあんな感じなんだろうなあと思いながら見送る。
「行ってらっしゃい、タイガ」
「うっかり坂で転ぶでないぞ」
「弓美ちゃんひどーい、わたしそこまで鈍くないわよー!」
 言いたいことは、セイバーと弓ねえがばっちり口にしてくれてるからな。そうして案の定、玄関のあたりでがんがらがっしゃんとけたたましい音が聞こえた。あれは靴を突っかけただけで出ようとしてつまずいた音だな。まあ、玄関扉が破壊されてなければいいや。破壊されていたら、しばらく出入り禁止措置が取られることになるだけだし。
「あ、そうだ。先輩、ちょっといいですか?」
 どたどたという激しい足音が遠ざかっていくのを待っていたかのように、桜が俺を振り返った。その目はどこか不安げで、俺は首をかしげる。はて、何かあるのだろうか。
「何だ? 桜」
 どこか改まった態度の桜に、こちらもきちんと向き合わなければならない。少し膝をずらして、彼女と正面から向き合う。
「ええと……その、今夜からしばらく、こちらには来られなくなります。済みません、いつもお世話になっているのに」
「え?」
「桜。何かあったのですか?」
「あら、どうしたの?」
「慎二に何ぞ言われたか?」
「……どうした?」
 神妙な桜の表情とその言葉に、まだ家にいる全員がぞろぞろと集まってきた。ってアーチャー、お前まで来るとは正直思ってなかったぞ。
 全員に取り囲まれる形になってしまった桜は一瞬ぽかんとして、周囲を見回してから慌てたようにうつむいた。まるで俺たちと視線を合わせたくないかのように……自分の顔を見られたくないかのように。
「いえ、その……お祖父様の加減が優れなくて。兄さんがああいう性格ですから、わたしがお世話をしないと」
「お祖父様?」
 その言葉に、俺と弓ねえは顔を見合わせる。何度か桜の家……つまり慎二の家に遊びに行ったことはあるけれど、お爺さんなんて会ったことはない。いつも慎二と桜の二人しか、あの家にはいなかった。多分お手伝いさんなんかもいるんだろうけれど、そういった人にも俺は会ったことがない。
「そなた、二人暮らしではなかったのか?」
 一度だけ遊びに行ったことのある弓ねえも首をかしげた。そもそも、間桐の家の話に今まで『祖父』なんて単語が出てきた試しはないからな。もっとも、俺も弓ねえも入ったことのある部屋は食堂、居間、そして慎二の私室くらいのものだから、その他の部屋にいたのだと言われればそれまでなんだけど。
「ええ、ほとんど表に出てこられませんから。そもそも、かなりお年を召されてますし」
 桜の声は小さくて、うっかりすると聞き逃しそうになった。けれどその声は、ちゃんと俺たちの耳に届いている。その証拠にほら、遠坂が桜の肩を軽く、優しく叩いたから。
「ふぅん……大変ね、桜」
「もう慣れてますから。それであの、そういう訳なので……」
「そうか、ならしょうがないな」
 俺は、親父や姉貴がそうしてくれたように桜の頭をゆっくり撫でた。……あのな、みんな。桜も含めて、何そんなぽかんとした顔してるんだよ。そんなに俺の行動が変か? 変なんだな、アーチャー?
「くくく……まあ、衛宮士郎のことだから、自分がされて嬉しかったことなのだろう。……容態が良くなるといいな」
「…………はい」
 ん。何だろう、今の優しい表情。
 どこか親父に似た、ほんわかした笑顔。
 見たことがあるのか、ないのか分からないけれど、何となくこの家には馴染んでいる表情のような気がする。
 まあ、桜が小さくだけど頷いてくれたから、それはそれで良しとしよう。
「無理しちゃ駄目よ、桜」
「凛の言うとおりです、桜。」
「……はい」
 続けて声を掛けた遠坂とセイバーにも、同じように桜は頷いた。うーん、だけど何だろうなあ。桜はまるで、遠坂に何か遠慮しているように見える。俺の思い過ごしなら、それでいいんだけど。
「桜」
「は、はい」
 最後に残った弓ねえは……腕を組んで、不機嫌そうに桜を見下ろしていた。今朝方のはかなげな姉上は何処へやら、すっかりいつもの傍若無人傲慢姉に戻っているあたりはさすがというべきか。
「救いを求めるならば、自ら声を上げよ。内に籠もるな。我らは、そなたの味方ぞ」
「……………………は、はい。ありがとう、ございます」
 不機嫌な声で放たれた言葉は、けれど桜のことを思いやっているのだと俺にはすぐに分かった。セイバーも遠坂もアーチャーも、そして桜自身にもそれは分かっただろう。だって、姉貴の言葉を聞いた桜はほんの少しだけ、笑ったんだから。
 もっとも、姉貴が何でそんなことを言ったのかは、俺には分からないけれど。前に慎二が桜に暴力を振るっていたことがあったから、その延長なのかな。
 と、慌てたように桜が立ち上がった。自分の分の弁当とカバンを引っ掴み、俺たちから逃げるように後ずさりする。……本当に逃げているのかもしれないな。
「あ、さ、先に行きますね? それじゃあ」
「ああ、分かった。転ぶなよ、桜」
「藤村先生と一緒にしないでくださいっ!」
 ぱたぱたぱた。藤ねえと違って軽い足音が、途中で何かの破壊音を伴うこともなく遠ざかっていく。からからと玄関の戸を閉める音を聞いてから、俺は弓ねえに向き直った。それは彼女以外の誰もが考えていただろう疑問を、彼女にぶつけるため。
「姉貴……何であんなこと言ったんだ?」
「む……何故と言われてもな」
 形のいい眉をひそめて口ごもる弓ねえ。……こういうときは大概、『何となく』が理由だ。つまり、きちんとした理由はないが、弓ねえのカンがそうすればいい、と言っているわけだ。
 多分、それは正しいのだろう。サーヴァントだ何だはさておいて、俺は自分の姉のカンを信じる。この際シスコンがどうした、戸籍上二人っきりの姉弟なんだからいいじゃないか。
「何となくだ。強いて言えば、今まで存在も知らなんだ老人と……後は桜の性格が気になったからだが」
「……だな。桜、自分の悩みとか聞かせてくれたことないもんなあ」
「ああ、何となく分かるわ。自分の中にしまい込んじゃうって感じよね」
 姉貴の指摘に俺と遠坂は頷き合う。遠坂も弓ねえもさすが女の子同士というか、桜の性分は分かってるみたいだな。もっとも弓ねえの場合、桜がついに自分からは口にしなかった慎二の暴力を何とか聞き出して、ぶちぎれて叩きのめしたこともあるし。
「凛の言うとおりだ。桜はどうも内に籠もる性分であるからの」
「そうだな……だけど、お爺さんかあ。俺知らなかったぞ」
 もう一つ気になる、桜が俺たちに知らせることのなかった祖父の存在。確かに教える必要はないのだろうけど、普通孫のところに友人が遊びに来たらあいさつを交わすものじゃないだろうか。
「祖父か……ふむ。セイバー、どう思う?」
 あごに手を当ててしばし思考に耽っていたアーチャーが、ふと顔を上げる。視線はセイバーに一直線で、どこか期待をこめたものになっていた。お前、俺たちとの同盟嫌がってたよなあ。何でこう、うちに馴染んでるんだろう。
「そうですね……桜の家、つまり間桐は魔術師の家系と聞きました。ならば、その祖父という人物はよもや……」
 対するセイバーの方もその視線に応えよう、と真剣に考えたことを口にする。それは今まで遠坂から聞かされたことと、そこから導き出される推論。
 答えを知っているのは、ここにいる中では恐らく一人だろう。
「セイバー、勘が良いわね。恐らくその老人、間桐臓硯だわ」
「ゾウケン?」
 聞き慣れない、堅苦しい名前を挙げた当人……遠坂は、いつものようにびしりと人差し指を立てている。説明モードに入っていることが仕草で分かるから、俺たちとしては彼女の説明に耳を傾けざるを得ない。正直助かるけど。
「そう。百年だか二百年だかにわたって間桐の当主を務めているという、恐るべき老人。言っちゃ何だけど、もう化け物の域よね」
「当主? ……あ、そうか」
 この際、年齢は置いておくことにした。魔術師の中には何らかの手段で自分の寿命を伸ばしている者がいるということくらい、俺にでも分かる。魔術師の究極の目的は『根源』を目指すこと……その目的のために、普通ならば己の子孫に引き継がせるべき課題を、自分一人で背負うような者がいないとは限らない。
 それに、遠坂は今の間桐の人間には魔術回路がないと言った。完全に失われたのは先代……この場合は恐らく、慎二の父親だろう。とすれば、その前の世代にはまだ、残っている。
「そういうこと。慎二には魔術を扱える能力は無いけれど、臓硯ならまだその能力は保持しているはず……そうか」
「つまり、間桐慎二の参戦にもその臓硯が絡んでいる可能性がある。そういうことだな、凛」
「うん。というか、そうでもなければ説明できない。慎二にはサーヴァントを呼び出す能力なんて、これっぽっちもないんだから」
 アーチャーの呈した疑問に、遠坂は深く頷いて答えた。確かにそうだとすればつじつまが合う。
 だけど、何だろう。
 俺はどうして、そこに何かぽっかりとした空白を感じているんだろう。
 そして。

 そこに桜を書き込みたくなってしまうんだろう。
 彼女は関係ないと、他でもない慎二が言ったのに。

「士郎?」
 はっと気がつくと、目の前に姉とセイバーの顔があった。不思議そうに俺の顔を覗き込んでいる弓ねえの表情は、いつもの彼女のもの。昨晩の、小さく縮こまっていた少女のものではなかったことに、ちょっと胸をなで下ろした。
「あ、うん。大丈夫」
「顔色が悪いですよ。休んだ方が」
「セイバーまで……本当に大丈夫だから。俺無駄に健康だし、セイバーのおかげもあるからさ」
 そう言って、笑ってみせる。本当に我慢しているわけでもなく、体調が悪いわけでもない。もし顔色が悪く見えるのならばそれは多分、精神的な要因からだろう。だけど、それを表に出してしまったらセイバーや、何よりも弓ねえに心配を掛けてしまうことになるから俺は、口に出さない。大丈夫、大丈夫と繰り返すのは、自分に言い聞かせている言葉でもあるのだ。
「──そうか。士郎がそう言うのであれば、我の思い過ごしであろう。体調不良などを我慢していることが分かれば、許さぬからの」
「はい、それはもう」
 だから姉貴、可愛い顔で睨み付けるのはやめてくれ。外見とのギャップで世の中が信じられなくなるくらい本気で怖いんだからな、姉貴の『許さぬ』は。
「あー。弓美、すまないがそこまでだ。凛、衛宮士郎、学校へ行くのならばそろそろ出なければ間に合わんぞ」
 そして、空気の読めないこの男のおかげで、俺と遠坂は揃って遅刻して冷やかされる、という公開処刑から逃れることができたのだった。特に一成なんか、俺と遠坂が並んで歩いてるだけで烈火のごとくお怒りだからな。
 ──柳洞一成。俺の親友で、穂群原学園の生徒会長で、柳洞寺住職の末息子。
 柳洞寺には、キャスターがいた。
 それはつまり、一成や零観さんや住職が、奴の人質に取られているも同然だということ。
「シロウ」
「士郎」
 二つの声が、同時に俺の名を呼ぶ。顔を上げたとき、そこにいたのは二色の金色の女の子。
「ご安心を。キャスターは必ず倒します」
 まっすぐに俺を見つめ、胸に手を当てて誓いを立てるかのように言い放つセイバー。
「あの年増には昨夜の借りを十倍、百倍にして返却せねば気が済まぬ。案ずるな士郎、零観も一成も住職も、傷一つ負わせぬ」
 腕を組み、苦々しげながらも自信満々の表情で宣言してみせる弓ねえ。
 ……俺は、どこまで行っても女の子に守られて、救われるだけの存在。
「……ありがとう。それじゃ、学校、行ってくる」
 せめて、そんなことを顔に出さないようにと笑ってあいさつする。頑張って、セイバーも弓ねえも守れるくらい強くなるから、という決意をこめて。
 俺の内心が分かったのか、遠坂は肩をすくめて俺たちを見比べていた。それから、アーチャーが持ってきたコートに袖を通しながら立ち上がる。弁当を放り込んだカバンを二つ……一つは俺のをぶら下げて。
「じゃあ、行ってきます。セイバー、弓美さんを頼んだわよ」
「はい、お任せを」
「だから何で遠坂が言うんだよ」
 ふて腐れながら彼女からカバンを受け取り、玄関に向かう。いいさ、どうせ俺はそういう存在さ。見てろ遠坂、俺だって男で正義の味方志望の魔術師見習いなんだ。お前より強くなってみせる……どうしてもそんな未来図が想像できないのは内緒だぞ。
「では、後は頼む」
 ふい、とアーチャーの姿がかき消える。食事を作ってくれたり、俺たち……俺はおまけだけど……の護衛をしてくれるアーチャーには、本当にいろいろありがたいと思っている。慎二はセイバーと思いこんでいるけれど。
「あ、慎二……」
 それで思い出した。
 昨日、聖杯戦争のマスターだと名乗り、俺に同盟を申し込んできた桜の兄貴、間桐慎二。
 今日、学校にあいつが来ているのならば、きちんと申し渡さないとな。
 俺は遠坂と組んでいるから、お前とは組めないって。

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この記事へのコメント

2501
2007年10月31日 22:56
今回も面白かったです。
次の更新楽しみに待ってます( ´ω`)
K
2007年11月02日 05:07
とても良かったです。続き楽しみに待ってます。
真紅なる竜帝
2007年11月02日 22:41
やったー久々の更新だー
弓美と同衾なんてうらやましいぞ士郎
その幸せの一分だけでも俺に分けてくださいマジでw
しかしこの二人どことなく狼と香○料の二人組みに通じるところがあるような
賢い相方に振り回されているところなんか特に
姉魂
2007年11月03日 19:53
 あれです、姉萌において添い寝イベントってのは必須ですが、お姉ちゃんが潜り込んで来るって王道パターンだけじゃなく、その逆、しかも「おねだり」を仕込んでくださるとは!
 ストーリーの面白さはもちろんですが、こおゆう「わかってる」お姉ちゃんネタをやってくださるから読み続けてしまうのですよ。
 これからも頑張ってくださいませ♪(本音:もっと…もっと更新をぉお……)
Radix
2007年11月06日 15:48
ふと確認してみたら、前回のコメントから1年余り経過…。…なんてこったい。

で、毎度ですがちょいちょい読んでますよ~。さらっと危ない表現を流している所がいいですね~(そこかい)。
アーチャーの食卓。朝からここまで作るとすると…自分4時起きだなー。4時間しか寝てないよエエエー(汗)…ってなりそうですね。つかこの時間から料理してたら確実に隣りからクレームが来る事になるだろうな~と思ったりwもっとも朝からそんなに食べれませんけどね(苦笑)。ちなみにエプロンの柄はジーンズ生地です。