Fate/gold knight interlude-3

 頬に当たる風が、とびきり冷たく感じられる。
 ボリューム豊かな金の髪がその風に煽られ、深い夜の中を一瞬のうちに駆け抜けた。
 少女はおぼろげな意識のまま、人には到底出すことのできない速度で街を通り抜け、山を登っていく。本来は寝室で着用するのみの厚手のパジャマ姿だが、それをとがめる目撃者はこのところの事件──殺人事件然り、ガス中毒多発然り──に怯えているのか、まるで存在していない。それを良いことに、小柄な少女の身体はアスファルトの上を駆け抜け、瓦屋根を蹴り、音もなく疾走し続けた。
 人間の足ならば数十分はかかりそうな行程を、彼女はほんの数分でたどり着いた。既に周囲は街ではなく山道である。そうして少女の前に現れたのは、彼女には見慣れている長い石段。昼間でもさほど人の姿を見ることのない柳洞寺への道程が、彼女を闇へ導くかのように伸びている。
 とん、と少女は地面を蹴った。靴下も靴も履いていない足が、石段をあっという間に最上段まで駆け上がる。そのまま山門をくぐり抜けたところで、彼女はふわりと足を止めた。
 そこで初めて、彼女は顔を上げた。周囲を見渡すその表情は鋭く、それでいて何かを図りかねているようでもある。まるで彼女は、自分がどこにいるのか把握できていないようだ。が、それもほんの僅か。深夜とはいえ何度か訪れて見慣れた風景を、人の数倍の能力を持つ彼女の眼ははっきりと捉えていた。
「……柳洞寺、か。ふん、あちらからわざわざ呼び寄せてくれるとはな」
 自身の状況を把握すると、彼女はふて腐れた表情になった。もっとも、自分がまんまと誰かの罠にはめられたことに気付いて、上機嫌でいられる者はいないだろう。
 周囲に視線を走らせる。以前に訪れたときより、濃密な魔力が境内には集積されているのが分かる。その魔力に紛れ、自分と同じ存在がこの場に現れることを、彼女の意識は感じ取っていた。
「──こんばんは、お嬢さん。結構早かったわね」
 冷たい空気の中、女の声が響いた。自分を呼ばれたことに気付いた弓美は声の主を見つめ、苦虫を噛み潰したような表情で吐き出す。
「我に何用だ。キャスターのサーヴァント」


  Fate/gold knight interlude-3 双極の花


 暗い闇の中に沈むような、それでいてその存在をはっきりと感じさせる紫色のローブ。顔の半ばまでをフードで隠したその女性は、うっすらと笑みを浮かべながら石畳の上を滑るように歩み寄ってくる。豪奢な金の髪と薄い色のパジャマ姿の弓美が、闇を跳ね返すかのように己を誇示しているのとは対照的だ。
「あら。私がキャスターだなんて、誰が言ったのかしら?」
 薄く微笑んだ女性の口元から、言葉がこぼれる。これも対照的というのであろうか、実に不機嫌な表情の弓美はふて腐れたまま、返答を叩きつける。
「ふん、簡単な話だ。セイバー、ランサー、アーチャー、バーサーカーの四名とは既に会うておる。ライダーとは我が弟が今日まみえた」
 そこで一度、言葉が切れた。フードの女性が僅かに首をかしげるのを待っていたように、弓美はいつもの傲慢な笑みを浮かべる。状況を考えれば彼女は魔女に囚われた姫君であるはずだが、彼女の有り様は自ずから魔女の元を訪れた女王陛下であるようにしか見えない。
「……そなたはどう見ても魔術師で、暗殺者には見えぬからのう。そうじゃらじゃら着飾っておっては、こそこそ隠れ回って相手を殺すなどできぬだろうに」
 その弓美の言葉に、女性は口の端を引いた。冷たいその笑みは、しかし弓美に何の変化ももたらさない。これが例えば相手が士郎であったならば、その背筋に冷たいものを流し込んだかもしれないのだが。
「ふふ、そうかもしれないわね。だけど、毒を用いた暗殺だってあるわよ。私も経験があるし」
 女性は歌うように言葉を紡ぎ上げる。確かに、歴史において女性が謀殺を行う場合の手段は毒が多い。男性に比べると基本的に身体能力が劣るからか、男女を問わず暗殺対象に接近しやすいからか。
 だが、弓美は自分のペースを崩すことはなかった。一瞬つまらなそうな顔になったが、すぐに目を細めてみせる。意地悪を思いついた少女のようなその表情から、毒のある台詞が吐き出された。
「ふむ、そなたの言うことももっともだ。だが、年増女の暗殺者というのはいまいち用途が限られよう?」
「なっ!?」
 それまで平静を保っていた女性の顔に、一気に赤みが差した。怒りによる紅潮であることは、たった今まで笑みを浮かべていた口元が醜く歪んでいるところを見ても明らかだ。弓美も彼女を怒らせるつもりの発言であったらしく、続けざまに毒を解き放つ。
「せいぜい、男を色香に迷わせた上で毒を含ませるなり骨抜きにするなりして使い物にならなくする、と言うたところか。まっこと限定的な使い方であるのう、ははは。しかも幼女趣味などの相手には効かぬからなあ」
 ちらちらと女性の顔を伺う弓美の顔が、露骨に悪戯っ子のそれになっている。不利な状況に陥っているにもかかわらず悠然とした態度を取り、にまにまと薄笑いを浮かべながら自分を見る少女の表情に女性は、どんどん白い頬を真っ赤にしていった。
「な、な……」
「む、いかがした? ああそうか、本当のことを言われたから腹を立てているのだな、年増女」
「だ、誰が年増ですってこの小娘!」
 年増年増と連呼され、さすがにぶちぎれたか女性が声を張り上げる。弓美の言葉に比べれば短い叫びだったが、その中の単語にどうやら金の少女は反応したらしい。ぴくりと形の良い眉を片方つり上げ、女性に負けず劣らずの声で叫んだ。
「我に向かって小娘とか抜かすか、厚化粧女!」
「黙りなさい、文字通りの小娘!」
「は、悔しかったらその顔表に晒してみよ! 目尻にしわなど寄っておる故に晒せぬのだろうが!」
「日に当たったら肌が傷むでしょうが! あなたのような遊び人、どうせ大きな胸で頭の軽い男を引っかけて好き放題遊んでいるんでしょうが!」
 互いに相手に負けないよう、声を張り上げる弓美と女性。静かな柳洞寺の境内に、女性二人の高い声が響き渡る。推定サーヴァントである魔術師とサーヴァントの会話だったはずが、どう聞いても女性同士の口論になってしまっているのは置いておこう。しかし、これだけの大声を境内で張り上げられているというのに住職一家や修行僧がまるで出てこない、というのは奇妙である。そのことに、住職の一家と面識を持つ弓美は果たして気付いているのであろうか。
「は。さてはこの胸が羨ましいのだな?」
 ふん、と鼻息荒い弓美の胸が軽く震えた。睡眠中だったこともあり、パジャマの下に下着は着けていない。にもかかわらず形を保っている彼女の胸元を、女性はフードの下から常人ならば身も凍るような冷たい、しかし憎々しげな視線で一瞥した。
「そ、そんなわけないでしょう! 胸が大きい女は頭の中身が空だとこの国では言うそうだけど、本当にそのままね!」
 どこか焦ったような早口でまくし立てる女性に、弓美は勝ち誇った笑みを浮かべた。
「ははは、隠さずともよい。そうであろうそうであろう、己に魅力がないと理解しておるからこそそなたは我に羨望を抱くのだ。それは当然のこと、化粧品の匂いがここまで漂ってくるほどの厚化粧もそのせいであろうな」
 どこまでも傲慢な態度を崩さない金色の少女に、紫色の魔女はばさりとマントを翻す。その様は少女が士郎と共によく見ていた特撮番組に登場する敵の女性幹部にも重なるようで、弓美はくすりと小さく笑った。その笑みがさらに、女性の怒りを煽る。
「う、羨ましくなんかあるものですか! あなたの弟さんはどうか知らないけれど、マスターは私が良いと言ってくださってるのですからね!」
 魔女の言葉に、弓美の眉がぴくりと動いた。
 マスター。
 聖杯戦争においてはサーヴァントを召喚し、聖杯を我が手とするために戦いに身を投じる魔術師を差す単語だ。
 もっとも、その単語が彼女の口から出てきたということよりは、そのマスターの好みが出てきたということの方が弓美にとっては問題だったらしい。うっすらと笑みを浮かべ、少女は口を開く。
「ふむ。年増女を良いと喜ぶ男がそなたのマスターか……一成でも零観でもなさそうだの。あの二人はそなたを好みとはしておらぬし」
 士郎の親友である柳洞一成、その兄で藤村大河の同級生でもある零観。義父切嗣の墓がこの寺にあるということもあり、弓美は住職を含めた柳洞一家とは既に顔なじみだ。大河や、その友人との交流を通して弓美は、一成や零観の女性の好みもある程度把握もしている。
 ──少なくとも、目の前にいる魔女はどちらの好みにも合わない。
 無論、目の前にいる魔女が呼んでいる『マスター』が差す対象がその他の人物……二人の父親である住職や、柳洞寺において修行を続けている僧の誰かということは考えられる。しかし、弓美のカンはその可能性を排除していた。
 理由と言えるほどの理由はない。強いて言えば……やはり、カンとしか言いようがない。しかし金の少女は、自分の第六感とでもいうべきその感覚を信じていた。だから、自信に満ちた言葉を放つことができる。
「ああ、魔力で骨を抜いておればそれもありか。もしくは……洗脳でもしてくれたか? は、モテない年増のやりそうなことだ」
「……こちらが大人しくしていれば、いい気になって……」
 ただし、相手の機嫌を損ねるということを弓美は、全くもって考えに入れていなかった。はっと気付いたとき、彼女の目の前に立っている魔女は、拳をぷるぷると震わせていた。唇が歪んでいるのは、悔しさに歯を噛みしめているからであろう。
「そのうるさい口、黙らせてあげるわ!」
 怒りのままに、魔女が手を閃かせる。ほんの一言、その唇が紡ぎ出した言葉が魔術となり、見えない糸を伝わって少女の身体にまとわりついた。
「ん、ふぁっ!?」
 魔術によって弓美にもたらされたのは、女を黙らせ簡単に無力化する手段の一つであり、対象にとっては最も屈辱的なものだった。
 その肉体に快感を与え、抵抗する意識を失わせるという手口。
「は、ぁあっ!」
 弓美に掛けられたその魔術は、一瞬にして彼女の身体を弓なりに仰け反らせる強力なものだった。全身をくまなく責める甘い痺れが、それまで彼女が吐き出していた毒のある言葉をあっさりと封じ込める。女性の魔力に絡め取られ、自分の意思で指一本動かすこともできないまま弓美は全身をいたぶられ始めた。
「き、さま……」
 白い頬を紅潮させ、息を荒く吐きながらそれでもなお自分を睨み付ける少女の視線が、魔女の気に入ったのだろうか。彼女はゆっくりと歩み寄り、手を伸ばせば届くほどの距離から弓美をしげしげと眺める。
 がくんがくんと、見えない手で激しく揺さぶられる弓美の身体。人間を凌駕した能力を持つサーヴァントといえど女性である弓美の意識は、しかしまだ保たれていた。冷ややかな目で彼女を観察していた魔女は、薄い唇を僅かに引いて笑む。
「うふふ。あなた、処女じゃないのね。男を知っている身体でなければ、最初は苦痛にしか感じないでしょうからね」
「は、黙れ……女を、侮るで、ないぞ……ん、んんっ……くぅ……」
 あくまで強気な態度を崩さない弓美だが、一瞬身体を震わせるとぎゅっと唇を噛みしめた。自分の口から、意思とは関係なく漏れ出す声を押さえつけるためであろう。ただ、どうしても荒くなる吐息、それに紛れてこぼれる声を押しとどめることはできなかった。
 今のところ、彼女の身体を支配している感触はあくまで皮膚の表面を対象としているらしい。そのせいで弓美は焦らされている形になっている。皮膚全体を這い回る感触がおぞましく、心地よい。
 心地よい。そう感じた自分に、弓美はぞっとした。
 記憶を失い、衛宮家の長女となってから十年。その間、彼女は男に身を委ねたことは全くない。すぐそばに男性は二人いたが、一人は父でもう一人は弟であり、淫らな欲求の標的とはなり得なかった。彼女自身、そもそも性行為の存在を意識したこともまるでない。
 ──もし、魔力不足を認識できたら、僕に言いなさい。その……少しくらいなら、供給できると思うよ。
 養父から自分の正体を知らされたとき、切嗣はそう言って弓美の顔を覗き込んだ。その意味を、何故か弓美は説明される前に認識することができた。
 他人同士の魔力の融通手段として最も効率が良いのは、体液の供給。中でも子を成すために分泌されるものが、その中に魔力を多量に含んでいる。
 つまり、切嗣は弓美の維持手段として自分が彼女を抱くという方法を提示したのだ。
 ──士郎に知られぬならば、良い。
 弓美はそう答えた。答えてから、自分の顔や耳が真っ赤になっているのが自覚できた。記憶が消える前の自分はこんな性格だったのだろうか、という疑問は心の隅に押し込めて。
 ──うん、分かった。でも、僕がいなくなってから問題が起きたら、どうするんだい?
 ──……我は、士郎にだけは、知られたくない。
 ──そっか。だけど、自分の身体はちゃんといたわるんだよ。君は女の子だからね。
 そんなやりとりを、まだ幼い士郎が眠っているその枕元で交わしたのは今考えてもどうかと思う。切嗣もそれにすぐ気がついて、士郎が起きていたらどうしようかと困ったように笑っていたことを、弓美は覚えている。
 結果的に切嗣の危惧したような事態に陥ることはなく、弓美は少なくとも『衛宮弓美』として存在しているこの十年間一度も魔力不足を感じたことはない。正直、男と粘膜接触だの体液交換だのという話は自分に関係ないものだと思いこむようになっていた。

 それなのに、分かってしまった。
 恐らくは消え去った記憶の中に、男に足を開いて快楽に耽っている自分がいるのだと。
 腰を振り、甘い声を上げ、他人の体液を己の中に流し込まれることに悦びを感じている自分が、存在していたのだと。
「……だから、思い出したくなかったの、だろうな……」
 そんなことが分かってしまうから、弓美は過去の記憶などどうでもいいと思っている。
 可愛い弟と、喧しいけれど自分たちのことを思ってくれる姉妹と、今の生活があればそれでいいのだから。
「お馬鹿さん。男に抱かれるのが好きなら、はっきり言えば良いのに」
 弓美の呟きが聞こえなかったかのように、魔女が手を伸ばす。無造作にパジャマの上から少女の右胸を鷲掴みにし、その手に力をこめた。軽く捻ると、少女の顔が苦痛に歪む。『捻る』だけの余裕がある乳房は弾力もあり、魔女はそれを捏ね回しながら冷たい笑みを浮かべた。
「んんっ!」
「あら、痛いの? 嘘おっしゃい、こうされるのも好きなんじゃないのかしら? お嬢さん」
 整った口元から流れ出る言葉は、少女を嘲る口調。この魔女は、弓美を嘲り罵りながら辱めることを心の底から楽しんでいるように見える。その感情を露わにした視線が自分に突き刺さることに、弓美はぎりと歯を噛みしめながら耐え続けた。
 この状況で、助けが入るとは弓美は全く思っていない。士郎、セイバー、凛、アーチャー……四人の内誰かが自分の不在に気付くことはあるだろうが、その現在地を特定することは自分の後を追って来ていない限り不可能だろう。実体化しているサーヴァントの居場所は、ある程度の距離までならばサーヴァント同士把握することができる。しかしこの柳洞寺は既にキャスターの支配下にあると見ていい。故に、濃密すぎる魔力に弓美の存在が紛れてしまうという可能性もあった。第一他のサーヴァントと異なり、弓美は十年前の時点で肉体を得た存在だ。今回聖杯により召喚された彼らとは、認識のされ方が異なっているかもしれない。そもそも士郎を殺しに来たランサーは、セイバーがアーチャーと呼ぶまで弓美をサーヴァントだとは気付かなかったではないか。
 だから、弓美は自力で耐え続ける覚悟だけはできていた。事の次第は分からないが自分は罠にはまり、下衆な女の手に落ちた。助けの手が伸びてくる当てがないのならば、相手があきらめるまで耐えきるしか逃れる道はないのだから。
 しかし。
「うふふ、本当に男好きする身体なのね。分かったわ、たっぷりと歓迎してあげましょう」
 寝衣ごしに自分に触れているキャスターの手のひらから、魔力が注ぎ込まれる。途端、少女の身体を甘い束縛が戒めた。既に我慢の限界を迎えていた弓美はもう声を抑えられず、その口からは悲鳴がほとばしった。
「あ、ん、やああああっ! なに、なにを……っ!」
「ご住職もその息子さんたちも、きっとあなたを可愛がってくれるわよ。快楽に溺れて、私のお人形になりなさい」
 弓美を掴んでいた手を、まるで汚いものを持っていたかのように軽く払いながら離れた魔女が、楽しそうに笑う。無意識のうちに身体を震わせながら弓美は、魔女の言葉の意味を必死で読み取る。
 つまり、柳洞の一家は。
「……きさ、ま……やはり、皆を、あやつ──あ、はんっ!」
 形のない魔力の愛撫が弓美のツボを捉えたのか、びくりとひときわ激しく少女が震えた瞬間……ぷつり、と切れる音がした。と同時に弓美の身体が、がくりと膝から砕けて落ちる。全くの無防備な彼女をキャスターの手が捉えるより早く、二人の間に人型の障壁が生じた。
「──っ!」
「ふん。様子を見ているだけのつもりだったが、私も大概人が良いらしいな」
 ふわりと弓美の目の前に降り立ったのは、黒白の双剣を両手に構えた赤い衣の青年だった。白化した髪が、雲の隙間から差し込む月の光に映える。聞き慣れた声で叩かれる悪態が、弓美の耳にはいっそすがすがしい。
「……アー、チャー」
「無事か? 魔力の糸は断ち切った。奴の支配からは逃れているはずだ」
 ちらりと肩越しに視線を投げられ、慌てて身体を動かしてみる。指先、手のひら、腕、脚。動かそうという己の意思に従い、弓美の身体はあっさりと動いた。たった今まで何もできず、弄ばれ続けていたのが嘘のようだ。
「うむ……そのよう、だの。済まぬ、はぁ……手間を、掛けた」
 全身に残る気怠い快感を押し止め、今度は自分の意思で立ち上がった弓美。その右手に、愛用の剣がしっかりと握られているのを視界の端で確認して、アーチャーは薄く微笑んだ。弓美からは見えないように。
「全くだ。何で私が、君の面倒まで見なければならないのかね? 弟を持つ身ならば、もう少ししっかりしていただきたいものだが」
「やかましい。……んっ……説教は、後で聞く。それよりも……優先事項があろうが」
 乱れた髪を掻き上げ、弓美は油断なく剣を構えながらアーチャーに寄り添う。白い肌は赤く染まり汗に濡れ、アーチャーは思わず目をそらした。その表情に一瞬士郎の顔が重なって、弓美は奇妙な表情を浮かべる。
 互いに視線を交わさないまま、二人は共通の敵に相対する。赤い瞳と灰色に灼けた瞳が見つめるのは、紫の衣をまとう魔女だ。
「そうだな。確認させてもらおう……キャスターと見たが、間違いないか?」
 魔女はその問いに、くくっと喉を鳴らした。軽く広げられた両手が、ふわりと淡い光を点す。
「ふふ。隠すつもりもなかったのだけれどね……そう、私はキャスターのサーヴァント。アーチャー、そしてお嬢さん、私の陣地へようこそ」
 両手の光が、柳洞寺の境内を柔らかくしかし冷たく照らし出す。その光が収まっていくと同時に、地面の土がぼこぼこと盛り上がり始めた。とっさに背中合わせになり剣を構える二人のアーチャーを取り囲むように出現したのは、全身が骨で構成された兵士だった。数は十数体ほどであろうか、その手には剣を構えている。
「たった二人で、この状況を突破できるかしら? もし生き延びられたら、お嬢ちゃんは今度こそ私のお人形さんにしてあげる」
 兵士たちの向こうから、キャスターがからからと場にそぐわないほどの明るい笑い声を上げる。その声を聞き流しながら、アーチャーと弓美は冷静に周囲を見つめていた。恐らくはキャスターの命令と共に、一斉に攻め込んで来るであろう骨の兵士たちを。
「ふむ。これは……竜牙兵か」
 僅かに目を細め、アーチャーが呟いた。その言葉の意味を、弓美は自分の記憶の中から引きずり出す。義父切嗣が二人に買い与えた、いくつかの神話に関する本の中に確か、その単語が存在したはずだ。
「竜牙兵、魔女……毒を用いた暗殺。なるほど、関連を考えるとキャスターは……コルキスの王女か」
 弓美も目を細める。ギリシア神話の本に描かれていた、ある船に関する物語。その話を、彼女は思い出したのだ。
 王位を手にするため、宝物を入手すべくコルキスの国を訪れた王子イアソン。コルキスの王女メディアはイアソンに一目惚れし、彼が目的を達成するためにその魔力を以て助力した。竜牙兵は直接彼女が関わったわけではないが、イアソンに対する障壁として登場する。そうして……紆余曲折の果て、捨てられたメディアはイアソンと結婚しようとしたある国の王女とその父親を、毒を以て殺害した。
「っ!」
「コルキスのメディアか……なるほど。魔術の能力も申し分なかろう」
 息を飲んだキャスターに、弓美は自分の推測が正しいことを確信した。アーチャーもほう、と感心したかのように目を見開いている。彼も、その名前には覚えがあったようだ。
「ああ、なれば前言は撤回しようぞ。そなたならば暗殺者にも相応しかろうよ。それとも、意に介さぬ相手は八つ裂きにして茹で上げるか?」
 が、続く弓美の台詞が彼の顔を引きつらせた。正気を取り戻した弓美がこのような発言をすることはアーチャーも予想できたはずだったのだが、直前までの彼女が頭にあった彼はついその可能性を失念していたのだろう。
 しかしどう考えてもこの台詞、キャスターを挑発しているようにしか聞こえない。そして事実、キャスターは顔を真っ赤にして叫んだ。
「! 馬鹿にしないで、私の気も知らないで! じっくりいたぶってあげようと思ったけれど、気が変わったわ!」
「どちらにしろ、最初から我らを逃す気なぞさらさらなかろうに。大げさな」
「……だからといって、怒らせるのはどうかと思うが……」
 逆上したキャスターに対し、アーチャーと弓美は冷静さを失っていない。というか、弓美はようよう常態復帰したばかりで、アーチャーは弓美の台詞に言葉を失っているだけなのだが。思わず頭を抱えそうになり、両手の剣に気付き慌てて構え直すアーチャー。弓美のボリュームのある髪が彼の背中に触れたと思った瞬間、キャスターがひときわ声を張り上げた。
「竜牙兵、その二人を殺しなさい!」
 がしゃがしゃ、と骨同士がこすれ合う音が一斉に響いた。わっと群がってくる竜牙兵を、三つの刃が同時に叩き斬ろうとする。だが、肉のない骨だけで構成されたそのボディにがきりと押し止められた。それに気づき、アーチャーは黒の剣を消すと弓美の手を掴んで横っ飛びに逃れる。たった今まで弓美の頭があった空間を、竜牙兵のなまくら刀が横薙ぎに振り抜けた。
「む、済まぬなアーチャー」
「気にするな。しかし、さすがに拙いな」
「相手が骨だ、剣で調理しにくいのは致し方あるまい」
「確かにな」
 起き上がりざまに一体を蹴り飛ばし、関節部分を剣で狙いながら体勢を立て直す弓美。一瞬顔をしかめたのは、先ほどの快楽の残滓がまだ残っている証拠であろう。アーチャーは再び具現化させた黒の剣と元から持っていた白の剣を巧みに操り、竜牙兵の刃をいなしながら一体、また一体と破壊していく。
 そんな中、ちらりと弓美に視線を投げ、赤の弓兵は口の中だけでぼそりと呟いた。
「これがあいつだったなら、心おきなく巻き込んでやったものを」
「あいつ? 士郎のことか?」
 即座に問うてきた弓美に、アーチャーは思わず肩をすくめる。この少女の前で、迂闊に士郎のことを口にはできないなと悟ったらしい。そうでなくとも、彼女が過剰なまでに弟思いであることは思い知らされているはずなのだが。
「そうだ……ああ、済まない。非難は後でいくらでも受けよう」
「当たり前だ、馬鹿者」
 吐き捨てるように答えた弓美の右手が、無造作に剣を放した。すっと伸ばされた手にふわりと布がまとわりつき、その隙間から彼女には少し大きすぎるサイズの籠手がかいま見える。そうして、弓美がもう一度握り直したのは剣の柄ではなく……彼女には大きすぎるほどのハンマーの、短い柄だった。
「行けぇい!」
 どこから出現したのか分からないそれを、弓美は当たり前のように勢いをつけて投擲する。ブォン、と唸りを上げ回転しながら飛び回るハンマーは、次々に竜牙兵を打ち砕いていった。
「弓美! あまり無理をするな!」
「あいにく、そう言われて引っ込むように我はできておらぬ! ……くっ」
 アーチャーの叫びに答えつつ、戻ってきたハンマーを受け止めた弓美の顔が歪む。元々サイズからして彼女には大きすぎる武器を、投擲してさらに受け止めるのはサーヴァントである彼女にすら過度の負担を強いるものであるらしい。右手を包む籠手のおかげで、その負担はかなり軽減されてはいるようだが。
 がくりと片膝をついた弓美を見て、竜牙兵二体に自らを護衛させているキャスターは楽しそうに微笑んだ。突然出現した武器には一瞬驚いた表情を見せたものの、それを扱う少女が耐えきれないことに気付いたからだろう。
「あらあら、面白い武器を持っているようね。だけど、いつまで耐えられるかしら?」
 彼女の声と共に、再び十数体の竜牙兵が地面から生える。砕けた同種の欠片を乗り越えるように歩み寄ってくるその姿に、弓美は眉をひそめた。
「そう言えば、かの竜牙兵は地を耕して牙を蒔けば勝手に生えてきおったな」
「さすがに放り投げられるような岩もないな。なかなか厳しい状況のようだ」
 態勢を立て直し、ハンマーを構える弓美。右手に絡まった布をそのまま腕に巻き付け、動きの邪魔をしないようにまとめる。
 再び弓美と背中を合わせ、双剣を消すアーチャー。次なる手があるのか、彼が苦み走った笑みを浮かべ呟きを始めた、その時。
「……ん?」
 ふと、アーチャーが顔を上げた。つられて弓美も、視線を空へと移す。
 次の瞬間、アーチャーは腕の中に弓美を抱え、地面にうずくまった。と同時に。

 ドガガガガガッ!

「な……!」
 雨あられのごとく、槍が降り注いだ。鋭い雨は竜牙兵をことごとく刺し貫き、地面に縫いつけることでその動きを止める。意外な方向からの攻撃に、一瞬キャスターの反応が鈍る。
 その隙を見逃す、アーチャーではない。おあつらえ向きに、正門に至る道には槍が降っていない。
「……っ! しっかりつかまっていろ!」
「え!? きゃ、きゃあっ!」
 腕の中にいる小柄な少女をがばりと横抱きにし、低い姿勢から地面を蹴る。思わず悲鳴を上げてしがみついた弓美をしっかりと抱えたまま、あっという間に赤の弓兵は正門から外へと飛び出した。かなりの速度が出ているから、そのまま石段を飛び降りるつもりだろう。
「な、待ちなさい! くっ!」
 降り注ぐ槍を避けるために魔力で見えない盾を作り出す、それがキャスターには精一杯できることだった。
 十数秒降り続けた槍の雨は、始まったとき同様唐突に終了した。一面に突き刺さっていたはずの槍も、一瞬吹いた風に流されるように消えていく。そうして後に残されたのはキャスターと、砕けた骨と、無数の穴が空いた地面だけだった。
「……くっ。逃げたわね……」
 骨を一つ、爪先で悔し紛れに蹴り飛ばす。からんという音すらなく、白い塊はさあっと粉状に崩れて消えた。
「もう少しで、可愛いお人形が手に入ったものを」
 フードの下の顔が歪む。元々端整な顔立ちであろう女の顔が憎悪に歪む様は、その姿を写し取ったものである般若の面そのままであった。
 わざと竜牙兵の残骸を踏みつけながら、キャスターは広い空間の中央まで歩み出た。雲の隙間から顔を覗かせている月を睨み付け、それから正門に視線を移す。微かに聞こえていた喧噪も既になく、敵が撤退したということはわざわざ探知の魔術を使うまでもなく彼女には把握できた。
「それにしても、頭に来るわね……偵察しかさせてもらえない、飼い犬の分際で」
 だから、彼女には分かった。
 せっかくの好機をフイにしてくれた、もう一人の存在も。
 もっとも、彼女にはそれをどうしようというつもりは毛頭なかった。いつでも排除できると、そう彼女は考えていたから。

「ちっ、やかましいってんだ」
 森の中。
 手元に戻ってきた愛用の赤い槍を空気の中に溶け込ませ、青の槍騎士はわざとらしく舌打ちをする。つまらなそうな表情で、吐き捨てるように呟いた。
「……これでいいんだろ、マスター?」
 その場には、ランサー以外の気配はない。遠隔地にいるであろう主の声に耳を傾け、青い髪を軽く掻きながら僅かに首を捻る。そうしてランサーは、言葉を続けた。
「つーか、何であの嬢ちゃんにてこ入れすんだ? 本来、今回の参加者じゃねえんだろ」
 不思議そうな顔をして、ランサーは視線をゆっくりと動かす。その視界に写るのは、アーチャーに庇われるように山門を飛び出してきた弓美。
 しばらく金の少女を目で追っていたランサーだったが、一瞬むっと顔をしかめ肩をすくめた。どうやら、マスターの言葉があまり気にくわないものであったらしい。
「あーはいはい、もう聞かねーよ。分かったから青筋たてんな、こっからでも分かるぜ。マスター?」
 自分自身が青筋を立てながら、げんなりした顔になるランサー。表情が豊かなのは良いが、見ている人物が誰もいないのがもったいない。凛や弓美が見ていようものなら百面相だと笑われていただろうに。
 ややあって、ランサーは顔を上げた。既に百面相もどきの表情は影を潜め、鋭い狼のごとき視線が周囲を伺う。
「わーったよ。今夜はここまで、引き上げだ」
 ぼそりと呟かれた言葉が消える頃には、青の姿は跡形もなく消え去っていた。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

風まかせ
2007年05月09日 01:16
やった、連続1番乗り!

キャスターが少しホロウ風味で笑いました。この掛け合いはまた読みたいなぁ。でも、キャスターは一応悪役路線なんですね。
いつのまにかあのアーチャーもかなり弓姉に馴染んでいるようで、これが王の人徳って奴でしょうか。

ちょっとショッキングな過去と、暗躍する黒神父も出て来て、次回はinterludeでなく、士郎登場で話が進みそうな予感。
佐々木さんの使い方も楽しみです。
楽しみに待たせてもらいます。
姉魂
2007年05月10日 17:26
 全自動月姫をみてまして、なんの気なしに読み始めたのですが…
 スイマセンなめてました。「ギルが女性化?イロモノだなぁ。」などとおもってた自分に説教したい。弓ねえ、ホントに素敵なお姉ちゃんだし、士郎もばっちり弟してて滅茶苦茶ツボにはまりました。
 たしかに自分は姉属性持ちなのですが、まさか、あのウッカリ王様にここまで萌える日が来ようとは… 「弓ねえ専属シェフの座はゆずらん」なんて考えちゃう士郎の姉魂(シスコン)ぶりも非常によろしく、まったく罪なお話を創られたものです。
 Fateファンとして、そして姉スキーとしても更新チェックが欠かせないSSとなりそうです♪
Shunki
2007年06月18日 01:15
風まかせさま
>キャスターが少しホロウ風味で笑いました。この掛け合いはまた読みたいなぁ。でも、キャスターは一応悪役路線なんですね。
一応といいますか、凛ルート要素入りますのでばっちり悪役路線かも。

>佐々木さんの使い方も楽しみです。
むーずーかーしーいー。アサ次郎は本気で使い方に困るキャラですよ。
「登場が最大の見せ場」だそうですし。

……無理だorz

Shunki
2007年06月18日 01:15
姉魂さま
>「ギルが女性化?イロモノだなぁ。」などとおもってた自分に説教したい。
イロモノです(胸張って断言)

>弓ねえ、ホントに素敵なお姉ちゃんだし、士郎もばっちり弟してて滅茶苦茶ツボにはまりました。
ギルが面倒見いいのも士郎がしっかり弟なのも、原作準拠のつもりなんですけどね。あと実はシスコンな士郎とか。

>たしかに自分は姉属性持ちなのですが、まさか、あのウッカリ王様にここまで萌える日が来ようとは…
うっかり王は素でも萌えると思うのですがどうでしょうか(待て)

>Fateファンとして、そして姉スキーとしても更新チェックが欠かせないSSとなりそうです♪
ありがとうございます。のんびりペースですがお付き合いくださいませ。