Fate/gold knight 9

 家を出て遠坂と二人、並んで学校へ続く道をゆっくり歩いていく。同じ制服を着た学生の視線が少し気になるけれど、まあそれは遠坂凛の本質を知らないからだろう。そういう人間にとっては、遠坂はツンと澄ました優等生なんだから。実際はあかいあくまなのになあ……女ってすごいな。弓ねえは裏表なんてない――要するにいつでも女王陛下――から、ああいう切り替えっていうのは感心する。
「ん? 何よ衛宮くん」
 あ、いかん。あまり女の子をじろじろ眺めてるもんじゃないな……って、『衛宮くん』?
「……外だと名字呼びなのか? 遠坂」
 昨日はいきなり『士郎』と呼んだ癖に。そう思って尋ねたら、遠坂は腕を組んで呆れ顔をしてみせた。何だ、俺、変なこと言ったのか?
「当然でしょう? いきなり名前呼んだりしたら、わたしたちの間に何かあったって邪推する奴も出てくるに決まってるんだから。変に注目集めることもないじゃない」
「そういうもんなのか」
「そういうものなの」
 遠坂の言っている意味はいまいち分からないけれど、彼女がそう断言するんだからきっとそうなんだろうな。俺だって、弓ねえのことを名前で呼んでみたり、遠坂のことをいきなり凛なんて呼んだら照れくさいに決まってるだろうし……あれ、何か違うかな?
「どうしたの? 顔赤いわよ、まだ傷治りきってないんじゃないの?」
 声がやたら近いのに気づいて視線を上げると、目の前に遠坂の顔があった。一瞬どきっとして、慌てて後ずさりする。あーびっくりした、お前はほんとに弓ねえと似てるなあ。行動パターンが。
「ちょっと、何逃げてんのよ」
「あ、いや、何でもない。傷は完全にふさがってるよ」
 ごまかすように、頭を振りながら答える。もっとも、傷が完全に治っているのは事実だからな。どうやらセイバーのおかげであるらしい、とんでもないまでの回復力で。セイバーにはものすごく迷惑をかけているんだよな、俺。
 ……ダメだな。巻き込まれたとはいえ戦うと決めたのは自分だ、決めたからにはきちんとマスターとしての責務を果たさないと。
「ふーん、そう。ならいいんだけど、ともかく気を付けてよね? うちの陣営で一番弱いの、アンタなんだから」
 その決意に水を差してくれる遠坂の台詞に、ちょっとだけ落ち込んだ。いや、確かに俺、セイバー、弓ねえ、遠坂、アーチャーの中で誰が一番弱いかって尋ねられたらぶっちぎりで俺なんだけど。
「分かってるよ。だから……すまん。いつも守られてばかりで」
「気にしないで。ご飯美味しいから」
「いやそこかっ!?」
「当然でしょう? 魔術使うと金も使うけど体力も使うの、栄養補給は重要な問題なんだから!」
 拳握って力説するなよな、遠坂。うん、でもまあ、俺の作った料理を美味しい、って言ってくれるのは嬉しい。こんなだから主夫とか言われるんだろうけど。
「あ、でも、衛宮くんって和食メインじゃない? 中華なら負けないわよ、わたし」
「お、そりゃいいな。うちのガスコンロ、それなりに出力高いから良かったら頼む」
「あらほんと? らっきー、任せなさい」
 俺は料理を覚える時、和食をメインで覚えた。理由は簡単で、西洋料理より簡単に出来るから。基本的には焼くだけだったり煮るだけだったりなので、あれやってーこれやってーとややこしい西洋料理より覚えやすい。そもそもは自分が栄養失調死しないための技能だったので、それでいいんだよ。それに……爺さんも弓ねえも藤ねえも、俺の食事に文句言わなかったし。言えるなら自分が作ってるだろうけどな、うん。
「ああ、任せる。正直言うと、和食も桜に追いつかれてきててやばいんだ。師匠としてはまだまだ追いつかれるわけにはいかないし」
「あら、そうなんだ。んーふふふ、それじゃあ今日の夕食はわたしかなー♪」
 目を細めてにんまりと笑う遠坂。その顔は実に自信に満ちあふれていて、『ふふふ士郎今夜はぎゃふんと言わせてやるわ覚悟しなさいよーああ食費はそっち持ちねよろしく♪』と黒マジックではっきり書いてある。……食費出してくれるんじゃなかったのか、おい。


  Fate/gold knight 9. とうめいなゆがみ


 そんな会話を交わしているうちに、校門前にたどり着いていた。土曜日の深夜、ここを出る時は俺は血まみれで、胸に傷跡があって。ここまで弓ねえがアカツキで迎えに来てくれていて。
 ……何だかえらく時間が経っているような気がするけれど、あれからまだ二日と経ってないんだよな。時間の経過って、奇妙なもんだな。そう思いながら、校門を通り抜けたその、瞬間。
「――ぐっ」
 急に胸が苦しくなった。思わず制服の胸元を押さえ、何とか息を吸おうとするけれど苦しくて、俺は足元をふらつかせてしまった。そんな俺を支えてくれたのは、横にいた遠坂。
「っと。衛宮くん、大丈夫?」
「……あ、ああ……」
『ふん、軟弱者が』
 ……おい、遠坂についているアーチャー。こっそり含み笑いなんてするんじゃねえよ。バレてるぞ、俺に。
『無論、わざと知らせているのだがね。くくく』
 俺の心の声を読むんじゃねえ、この野郎。というか、わざと俺のこと怒らせてるだろ、お前。
「やめなさいアーチャー、意地が悪いわよ」
『おっと。これは失礼』
 遠坂のたしなめに、喉の奥でくくくと笑いながら返答する赤の弓騎士。うー、むかつく。アーチャーの奴、そんなにへっぽこな俺が嫌いか。悪かったなーこんちくしょー、と胸の中で悪態をついてから、息苦しさがなくなっているのに気が付いた。そうか、気の持ちようってことか。
 ……えーと、まさかアーチャー、俺を助けてくれたわけか? 何だ、敵か味方か分からないな。変な奴。
「それにしても、土曜日よりきつくなってるな。これ」
 ぼそりと呟く。あの日……いや、その少し前からだろうか、学校全体を覆っていた嫌な感じ。それがここに来て、はっきりとその実態を現し始めているのが分かった。これは……結界。朝、遠坂とアーチャーが口にした。
「あ、そういうのも分かるんだ?」
「分かるっていうか、何となく感じられるだけだ。学校の構造に妙なもんが混じってて、その歪みがひどくなってるなって」
「構造に混じってる? 変な言い方。でも、まああんたにはそう感じ取れるんでしょうね……あんた、わたしとはここら辺の感覚が違うみたいだし」
 遠坂の言葉に頷く。俺にはそうとしか感じられないってことを、遠坂は渋々だけど納得してくれたようだ。……ごめんな、出来損ないの弟子で。
 と俺がそう思った時、遠坂が何かを思い出したような顔をこちらに向けた。僅かに首をかしげつつ、彼女が口を開く。何だろう?
「じゃあ衛宮くん。もしかして、この前の放課後残ってたのは……それを調べてて?」
「いや、あれは慎二に弓道部室の掃除頼まれたから。ついつい隅々までやってたらあんな時間になっちまってさ」
 遠坂の疑問に、素直に返事する。そうだ、そういえばあの日、放課後にたまたま出会った慎二に掃除を押し付けられたんだった。あいつはこれから女の子引き連れて遊びに行く風だったけど。
 ――でも、良かった。俺が掃除を代わっていなければ、暗い校舎の中で心臓を貫かれていたのは慎二だったかもしれない。あ、でもあいつは掃除ならちゃっちゃっと済ませて早く帰宅してたかな。はは、俺って結構貧乏くじ引いてる?
「は? あんた、今部員じゃないでしょ? 何でわざわざやってやってんのよ」
 もっともな疑問を口にする遠坂。って、『今』部員じゃないって……俺が前に弓道部員だったこと、遠坂は知ってるのかな。大体俺が部員だったのは一年の夏までだぞ。まあそんなことはともかく、答えを返そう。とっても分かりやすい理由なので、遠坂も納得してくれるはずだし。
「『元』部員で保護者が顧問だからな。時々出入りしてるんだよ……虎の餌届けに行ったり」
「……藤村先生って、いつもああやって食事たかりに来てるの?」
「基本的に平日の食事は全部うちだな。弁当もうちで作ったの持ってってる」
「そう言えば、今朝もお弁当持っていったっけ……」
 そういうことだ。藤ねえの食事は実家ではなく、何故か俺の担当になってしまっている。もっとも、その分の食費はちゃんと藤村組からもらっているんだけど。ああ、今朝も考えたけど藤ねえは教師っていうちゃんとした職業に就いてるんだし、その給料から引くことにしてしまおう。ま、当然といえば当然の処置だ。
 ……弓道部の部室。
 そうだ、忘れてちゃいけないことがあった。
 後日調べようとして、放っておいた小さな異変。
 俺には原因が分からないけれど、遠坂にならそれが分かるかも知れないな……言ってみるか。
「……と。ああ、そういえばその部室に一つあったな。へんなところ」
「変なって、どんな?」
「うーん……説明しにくいんだけど、何か歪んでるって言うか、ともかく変なんだ。そうだ、さっき言ったろ、学校の構造に妙なもんが混じってるって。あれ」
 うわ、説明になってねえ。しかし、こういうのは言葉で説明しろと言われるとすごく困るもんなんだ。……それでも、遠坂は俺の言葉をちゃんと聞いてくれて、しばらく考え込むと一つ小さく頷いた。
「ふうん、そゆこと。気になるなら放課後でも見に行ってみる? 見学名目なら入れてもらえるでしょ」
「あ、ああ。それもそう……だな」
 びしす、と人差し指を立てる遠坂の勢いに飲まれたようにこくこくと頷く。ははは、まあ藤ねえには頭を下げるしかないかな、うん。
「おやあ? 衛宮、遠坂、おはよう」
「ふむ。衛宮、おはよう……遠坂、貴様衛宮を悪の道に引き込む気か?」
「あ。美綴、一成、おはよう」
 と、不意に声を掛けられた。聞き慣れた声なので、反射的に普通の返答をしてしまう。
「おはようございます、美綴さん、柳洞くん」
 平然と遠坂も挨拶を返す。そんな俺たち二人の前に現れたのは弓道部現主将の美綴綾子、そして我が親友である生徒会長・柳洞一成だった。
 武道を嗜み女丈夫と名高い美綴とは、性別と関わりなく友人としてつき合っている。何度か家に来たこともあり、弓ねえとも仲が良いんだなこれが。まあ、元々裏表が無くてきっぷの良い性格だから、あまりこいつを嫌ってる奴はいないはずだけど。あ、慎二とはそりが合わないらしくて時々口論してるな。
 柳洞寺の末っ子で、学園まで片道二時間の距離を歩いて登下校してしまうある意味超人な一成とは現在同じクラス。学園内の備品修理を一成の依頼で俺がせっせと手がけ、昼休みは生徒会室でのんびりと昼食を楽しむ。たまに互いの家を訪問したりもしていて……実はこちらも弓ねえと仲が良い。大和撫子タイプが一成の好みなはずだけど、金の姉上の場合は人の好みを超越した何かがあるんだろうな。
「なになに、何で穂群原一の優等生と穂群原のブラウニーが並んで登校してくるわけさ。衛宮ってば、優等生殿の下僕にでもなったのかな?」
「何と!? 遠坂、貴様そういう趣味でもあったと言うのかっ!?」
 けど、こういう時だけはどうも嫌いになってしまうな。まったく、こっちはあまり周囲に気取られたくない事情があるってのにさ。こら遠坂、何でにやにや笑いながらこっち見てるんだよ。自分で何とかしろってか。はあ。
「美綴、それならとうに俺は姉貴の下僕だ。一成、遠坂の本性はお前良く分かってるんじゃないのか?」
 仕方がないので、事実を端的に述べることにする。いや遠坂、美綴、お前ら揃って目を丸くするか? そんなにおかしいのかな……っていうか二人とも、事実はその両目で見て知っているだろうが。ちなみに一成はうんうんと深く頷いていた。やっぱりな。
「え、自覚症状あったのアンタ?」
「そのくらいなら自覚はとうにあるよ」
 溜息をつきながら遠坂の問いに答えると、二人は鏡のように腕を組み、ああ納得と顔を見合わせてうんうん頷いた。遠坂は制服で、美綴は弓道の胴着で……あれ、もうすぐ予鈴じゃないか?
「何だ美綴、まだ弓道着じゃないか。もうそろそろ着替えないとまずいだろ」
「うん、今から着替えるところ。どうもさ、しばらく部活自粛になるみたい」
「自粛?」
 それは初耳だ。藤ねえも桜も、今朝出る時は何も言ってなかったじゃないか。……朝出てきてから職員会議で議題に上がった、というのなら納得できるけれど。ま、多分そんなところだろうな。
「うむ、今朝方緊急会議で決定された。最近は物騒な事件が多いからな、生徒の安全のためだ」
 一成がくれた返答は大体予想通りだった。物騒な事件のある意味当事者としては、何とも耳の痛い話だ。「あらそう」などと平然と聞いている遠坂も、多分心の中では頭に来てるんだろうな。優しいから、こいつ。
 ――俺や弓ねえのような犠牲者は、もう出したくない。
「そうか。じゃあ、今日からみんな早上がり?」
「そうみたいね。つーわけで間桐妹も今日から早く帰れるから」
 ほら、やっぱり……いやそれは前半だけの話で。
「ちょっと待て美綴。何でそこで桜の話が出るんだよ」
「え、だって有名だよ? 衛宮家の通い妻ってさ。小姑にも評判いいって聞いてるけど」
「うむ。俺としては衛宮には間桐さんのような女性が寄り添うのがよい、と思っている。弓美さんもよい女性だが、何しろ姉上であるからな」
「あら、そうなの衛宮くん?」
 美綴と一成にそう言われて困惑する。ええい、遠坂までノッてくるんじゃない。確かに桜は弓ねえと仲良いけど……え、それってつまり美綴の言う通り……んなわけあるか! 桜は元々俺を手伝うために家に来てくれるようになったんであって、それ以外の何物でも……ないのか?
 ああいかんいかん、これじゃ泥沼だ。落ち着け衛宮士郎、うっかりテンション上げたらこのダブルあくま+一成の思うつぼだ。というか、何で弓ねえが桜と仲良いことを一成はともかく美綴が知ってるのか、となると……
「……あー、情報元は藤ねえだな? まったくあの馬鹿虎」
「ありゃ、つまんないの。情報源は正解だけど、もうちょっと噛みついてくると思ったんだけどな」
「衛宮くん、案外ノリが悪いのね。そんなことじゃ、立派な正義の味方にはなれないわよ?」
 何でノリが悪いと正義の味方になれないのさ。そこら辺問いつめたいところだが、あいにく学生の朝にそんな余裕はないのであった。
「あのなお前ら……って美綴、時間時間」
「あーそうだそうだ。そんじゃ着替えてくるわ~……何なら衛宮も一緒に来る?」
「なんでさっ!」
 さっさと着替えてきやがれ、まったくもう。美綴の奴、弟がいるって聞いたけれど……この分じゃあそいつも苦労してるんだろうな、きっと。
「美綴、衛宮をからかうのはやめて欲しいものだ。さて、俺も先に戻る。遠坂の毒牙にはかかるなよ、衛宮」
「……分かった、努力する」
 けらけら笑い、手を振りつつ走っていく美綴と、溜息をついて遠坂を睨み付けた後早足で去っていく一成を見送りながら、遠坂がにんまりと笑みを浮かべた。む、その笑顔は何かを企んでいるのか?
「……そっか、部活自粛か。ならラッキーね、放課後は学校内ぐるっと点検して回るわよ」
「ああ、結界の?」
 そっちの企みか。確かに、部活が自粛になるのなら放課後は人がいなくなる。そちらの方が俺たちには好都合だ。――一昨日の俺みたいに、誰かを巻き込むわけにはもういかないのだから。
「そ。結界を張るにはその基になる点、つまり基点が必要なの。正直言うと、わたしでも基点の破壊は無理っぽいんだけど、そこから魔力を抜き取ることによって結界そのものの発動を遅らせることは十分可能だから」
「なるほど」
 遠坂と会話を交わしつつ校舎内に入る。靴を履き替えて、ふと遠坂が俺を見つめているのに気がついた。
「ん、何だ遠坂?」
「……ん。あんたね、一人で突っ走る傾向ありそうだから注意しとこうと思って」
「そうかな?」
「ええ。くれぐれも単独行動は慎むこと。セイバーは令呪で呼べるからいいとしても、あんたに何かあったら弓美さんや藤村先生が心配するでしょう? 無茶するなとは言わないけれど、お姉さんを心配させるようなことはしないで」
 遠坂。『無茶をするな』と『弓ねえや藤ねえを心配させるな』はほぼ同じ意味だ。
 ……でも、そうだな。俺は弓ねえを守りたくて、弓ねえの記憶の鍵があると信じて聖杯戦争に参戦するって決めたんだ。その弓ねえを置き去りにしてどうする、衛宮士郎。
 俺はセイバーのマスターとして、衛宮弓美の弟として、衛宮切嗣の息子として、進んで行かなくちゃならないんだから。
「ああ、分かった。姉貴に怒られるようなことはしない」
「おっけい。……ほんと衛宮くんって、シスコンよねえ」
 呆れてるのか楽しんでるのかよく分からない言葉を残して、遠坂はすたすたと歩き去っていく。ほんの一瞬、その後ろ姿にぶれるように重なった赤い外套の背中が、ちらりとこちらを伺ったように俺には思えた。

 自分にしてはゆっくりめの時間に教室に入る。くるりと室内を見回すと、ほとんどのクラスメートは既に来ているようだった。一成も自分の席からこちらに手を振っている。振り返しながら出席者を確認、いないのは……あ。
「慎二、まだなのか」
 俺とそんなに離れていない間桐慎二、即ち桜の兄貴に当たる奴の席が、まだ空いていた。あいつ、ここんところ部活もさぼり気味だそうだし、学校も来てるんだけど気がつくといなくなっていたり、午後から出てきたりとやる気がなさそうな感じだ。体調でも悪いのかな……ならしっかり休めばいいのにな。
「衛宮殿、本日はゆるりとした参上でござるな」
 と、妙に時代がかった台詞が耳に飛び込んでくる。この声は後藤君か……昨夜の大河ドラマでも見たのかな。相変わらず、前日に見たドラマの口調を真似るって癖は抜けないようだ。聞いてる分には楽しいからいいけれど。
「ああ、おはよう。……今日は慎二、まだ来てないのか?」
「むむ、間桐殿でござるか。確かに本日は未だ顔を見ておりませぬな」
「そっか」
 ありがとう、と礼を言って自分の席に着く。本当に慎二の奴どうしたんだろうと思う間もなく、予鈴が鳴った……あ、来た。青みがかったウェーブヘアの、女の子に囲まれている時以外は大抵不機嫌な顔をしているクラスメートが。
「慎二、おはよう」
「……なんだ衛宮か。おはよう」
 不機嫌な割には、挨拶はきちんと返してくるんだよな。ここらへん、一応弓道部副主将だけのことはある。武道というものは礼に始まり礼に終わるものだから……とは言え、慎二は正直ちょっと無礼講すぎる嫌いもあるんだけど。そういうこともあって、実は美綴と仲はあまりよろしくない。主将と副主将が仲良くないってのはどうかと思うけれど、その辺は顧問たる藤ねえがそれなりにちゃんとやっている。あの虎、教師は天職だったらしい。
「……衛宮、その手どうした?」
「あ、これか?」
 問われて初めて、慎二の視線が俺の左手に注がれていることに気づいた。セイバーと契約を交わした証である令呪が浮かび上がった手の甲を隠すため、大きな絆創膏とその上にネットを着けている。ぱっと見には、火傷でもしたように見えるだろう。
「はは、家でヘマやってさ」
「ふぅん。ぼさーっとしてるからだろ、まったくお前はどっか抜けてるんだからな。周りにちゃんと目を向けて気を付けろ。お前一人の身体じゃないんだろ?」
「ああ、まったくだ。気を付けるよ」
 不器用な心配を素直に受け取って、俺は前を見た。ちらりと俺の顔を伺う慎二の視線が何となく気になったけれど、さすがに本鈴を追いかけるようにどたどたと駆け込んできた姉上の足音には勝てなかった。頼むよ藤ねえ、教師なんだからもうちょっと落ち着けよな。

 昼休み。
 普段ならここは生徒会室で一成と一緒に食事を取るところなのだけど、今日は屋上に出ることにした。もしかしたらあの歪みが、屋上にもあるかもしれない。放課後までに見つけられるものは見つけておきたかったからだ。すまんな一成、今日は肉分は勘弁してくれ。そのうち差し入れでも作ろう。
「うん、言うだけのことはあるわね。確かに桜のお弁当、美味しいわ」
 ……同じことを、このあかいあくまも考えていたらしい。というわけで、人目につかない場所で一緒に食事と相成った。
「そうだろ。料理の師匠としてはうかうかしてられないな、こりゃ」
「何、士郎が教えたの?」
 人目がないせいか、遠坂の俺に対する呼称が『士郎』に戻っている。ま、いいんだけどさ。
「ああ。桜、最初はおにぎりもうまく握れなくてさ。とりあえず米の研ぎ方から教えた」
「そこから? 間桐の家にも炊飯器くらいあるでしょうに」
「それが、どうやら米計って水入れてそのままスイッチオンだったらしい。炊きあがったご飯の美味しさに感動してた」
「……絶対何か間違ってるわ、間桐って……」
 もぐもぐもぐ。本来の目的とはまったく関係ない会話を交わしつつ、食事はどんどん進む。くっ、本気でうかうかしてるわけにはいかないな。桜の奴、どんどん腕を上げていっている。やばい、俺の立場が無くなってしまう。
「凛、そんな話をしている場合ではないだろう……そら、茶だ」
「って、何であんた実体化してんのよアーチャー? ああ、ありがと」
 ほんとに何で実体化してるんだよお前。しかも甲斐甲斐しく遠坂と、ついでに俺にもお茶注いでくれるし。つーかその箸はお前専用のものだったりするのか? 昨夜は食事要らんとか言っておきながらこの豹変ぶりは何だ。もしかして弓ねえにでも食事誘われたか? お前、俺と一緒で弓ねえには弱いみたいだし。ああ、何だろうこの親近感。こいつ、俺に似てるのかな。
「で、どうだった?」
「うむ。屋上の陣を中心として、校内のあちこちに基点が散らばっているな」
 あ。
 そうか。遠坂の奴、授業中に校内をアーチャーに偵察させていたんだな。
 ……ってことは、俺、役立たず? 俺には基点を破壊することなんてできないんだから。
「衛宮士郎、お前の背後にもあるのだが分かるか?」
「え?」
 不意に、そうアーチャーに指摘されて背後を振り返る。
 基点――俺にとっては、構造の中に紛れ込んだ歪んだ場所。
 ああ、見つけた。
 ここからそんなに離れていない、けれど屋上の大半からは死角になる機械室の陰に、おかしな歪み。
「ちょっと。士郎、分かるの?」
「ああ、あった。……遠坂、ここだ」
 キョトンと俺たちの顔を見比べる遠坂を置き、俺は立ち上がると歪みのそばまで歩いていった。指し示したのは、薄暗い影側の壁。その一部に魔力が紛れ込み、歪みの点を形作っている。
「正解だ。まあ、貴様にも一つくらいは役に立つことがあるということだな」
 ふふん、と鼻で笑いながらアーチャーは腕を組んだ。あーもう何だ、めちゃくちゃムカツクなあこいつはっ!
 ……でも、アーチャーに言われなければ発見できなかった。それは事実だ。
 やっぱり俺、だめなのかなあ?
「へ、いくら何でもそんな簡単に………………あ」
 一方、俺の指摘に半信半疑の表情を浮かべながら歩み寄ってきた遠坂が、俺の指先が示す場所を見た途端顔色を変えた。ええと、もしかして遠坂、アーチャーと俺に指摘されるまで気づかなかったとか? そんな馬鹿な。
「な、何でそう簡単に見つけられるのよ、あんたもアーチャーも!」
「何でって言われてもなあ……」
「あいにく、私や衛宮士郎に出来るのはここまでだ。始末は凛、君に任せたい」
 ほんとに気づかなかったらしい。まあ俺も、アーチャーに言われるまで向こうには意識が行かなかったしな、人のことは言えないよ。それに、アーチャーの言う通り俺たち……俺とアーチャーには、結界の基点を発見することしかできないようだから。
「はいはい。でも、今やると相手に動きを読まれて何か仕掛けてこられるかもね。まとめて放課後に片付けましょう……いいわね?」
『了解』
 遠坂の指示に、二人揃って返事する。ええい、何でタイミングと台詞がぴったり合うんだよ、俺たち!

 そうして放課後。
 教師の指示により生徒のほとんどが消え、静かになった学校の中を遠坂と、姿を消しているアーチャーと三人で歩く。大ざっぱな場所はアーチャーが指示し、具体的な地点は俺がその場で見つけだす。そうしてそれを、遠坂が処理していく。適材適所とはこのことかな……スムーズに作業が進むよ。
「……終わったわよ」
「すまん、遠坂」
 とはいえ、さすがに男子トイレってのはきつかったよな。ほんとにすまん、遠坂。俺かアーチャーか、どっちかができれば良かったんだけど……まあ、女子更衣室にもあったからお互い様か。
 で、運動場やら校舎裏やらの基点を全部処理した後、遠坂はちょっと大げさ目に溜息をついてみせた。うん、ほんとに役立たずでごめん。もう少し他の魔術を使えれば……って思ってるから。
「ふー、校舎内と、外回りはこんなとこね。後は弓道場の中だっけ?」
「ああ。案内する」
 遠坂を伴って、校内にある弓道場へと向かう。この学校は運動部に力を入れていることもあり、やたら立派な道場があるんだよな。同じく道場持ちの我が家も大概なんだけれど。
 カラカラと引き戸を開け、道場内に入った。俺は一年の夏で部を辞めているけれど、それからも藤ねえに弁当を届けたり何だりでちょくちょく出入りはしている。一番最近に入ったのは、土曜日の夕方……運命の瞬間の、その直前。
「で、どこ?」
「こっちの奥だ……ああ、ここ」
 板張りの床の一部に、これまでよりも小さな――だけど凝縮された歪み。道場を隅々まで掃除していなければきっと気づかなかった――偶然だろうけど、掃除を押し付けてくれた慎二には感謝したい。
「うわ。あんた、ほんとによく見つけられたわね、こんなの」
「偶然だよ、偶然」
「ご謙遜を」
 呆れ顔をしながらも、遠坂はその歪みも処理してくれた。うーん、本気でおかしいらしいな、俺たちって。でもまあそのおかしさのせいで、この妙な歪み……結界の基点を処理することができたんだから、自分の能力に感謝しよう。人間、何か長所はあるもんだ。
「はい、これでおしまい」
 ぽん、と歪みの見えなくなった床を軽く掌で叩き、遠坂が立ち上がる。既に日は傾き、オレンジ色の光に照らされた遠坂の姿は眩しく見えた。その背後には、うっすらと光に溶けるようなアーチャーの姿。白い髪が赤っぽく見えて……俺は、僅かにめまいがした。
「……士郎、さっさと帰りましょ。桜、家で待ってるんじゃない?」
「え? あ、そうだな」
 めまいは一瞬でかき消え、それに気づかなかったらしい遠坂にそう促されて俺は頷いた。ああそうだ、弓道部も見ての通り活動は自粛、つまり部員である桜も既に下校している。藤ねえは教師だからまだ仕事が残っているかもしれないけれど、それでもいつもより帰りは早いだろう。はは、えらいこっちゃ。
「……校門外に弓美とセイバーも来ているようだ。待たせると叱られるぞ、衛宮士郎」
「え、弓ねえとセイバー?」
 一瞬宙に視線を巡らせたアーチャーにそう言われて思い出した。そういえば、夕食の買い物がてらに迎えに来てくれるって言ってたっけ。でも何で、アーチャーは弓ねえが来たって分かったんだ?
「サーヴァント同士は互いの気配が分かるって説明したでしょ? 一応弓美さんもサーヴァントだから、アーチャーの感覚で拾えるみたいね」
 遠坂が人差し指でくるくると空中に円を描きつつ答えてくれた。そういえば遠坂先生の聖杯戦争講座にそこら辺の説明があったような。なるほど、それなら大丈夫だ。弓ねえの気配をアーチャーが拾えるなら、きっと弓ねえは危なくなんてならない。アーチャーは弓ねえのこと気にしてくれているから、きっと何かあったら教えてくれる。
 ――本当は、俺が気がつかなくちゃならないんだけど。少なくとも自分のサーヴァントであるセイバーと一緒なんだから、セイバーの気配をたどれなくちゃならないのに。
 ごめん、姉上。
「さ、行きましょう」
 普通の女の子の笑みを浮かべて、遠坂が俺を振り返る。俺は頷いて、一緒に弓道場を出た。鍵はこの前から一つ俺が持ちっぱなしだったのを使って閉める。……後で藤ねえに返しておかなくちゃな。
「確認しておくけど、今日の夕食は遠坂?」
 ちゃら、と音を鳴らしつつ鍵を鞄にしまいながら遠坂に尋ねた。今朝の会話を忘れてなければいいな、と思ってのことだったんだけど、遠坂は満面の笑みを浮かべてとん、と自分の胸を叩いてみせた。うん、それなりのもそれはそれで。ああ、今のは誰も聞いていないよな?
「ええ。今朝も言ったでしょ? 聖杯戦争に向けて体力を付けるために、どどんと中華で行ってあげるわ」
「はは、楽しみにしてる」
 俺は中華料理は不得手だから、正直な気持ちを素直に口にする。一度だけマウント深山の中華飯店に切嗣に連れて行かれたことがあるけれど……あれ、何かあったっけ? どうも記憶が飛んでいるんだけどな。あの後、切嗣に涙なみだで謝られたことだけ覚えてる。ごめんね、もう二度とあの店には連れて行かないからって。弓ねえも首捻ってたなあ……何があったんだろう? ま、いいか。何か怖くて、切嗣の死後もあの店には寄りつかないし。……遠坂の作ってくれる中華料理が、美味しい中華でありますように、と心の中で祈ってみよう。
「凛、くれぐれも調味料の種類や量を間違えないように。君はとんでもないところでうっかりすることがあるからな」
 くくく、と今度はあんまり嫌みのない笑顔でアーチャーが言った。あ、今朝藤ねえたちと会った時の服に着替えてら。もしかしてお前、実体化したままで家帰る気か?
「あー、アーチャー何よその言い方は~! というかあんた、いつの間に着替えてるわけっ!?」
「む、我がマスター殿はこの衣服は嫌いかね? そうならば戦闘モードに切り替えるが」
「あ、だめだめ。あんな格好してたら目立っちゃうじゃないの、あんたはそのままでいなさい」
 遠坂も、アーチャーの霊体化という方法は頭の中からすこんと抜け落ちているみたいだ。ま、荷物持ちが増えたと思えばいいか。それに、こうやって家族みんなで帰宅するなんて経験、滅多にないから。
 衛宮になる前は、ほとんど覚えていない。本来の姓ですら覚えていないのに、どんな生活をしていたかなんて、かけらも出てこない。
 衛宮になってからは、学校に行かなかった弓ねえが送り迎えをしてくれた。制服を着た藤ねえと一緒に帰る時もあった。切嗣も、家にいる時はなるべく送迎を買って出てくれた。
 切嗣が死んでからは、自然とその回数が減った。弓ねえは家を守ってくれてたし、藤ねえは藤ねえで忙しかったから、俺も何も言えなかった。
 だから、こうやってたくさんの人数でみんな同じ家に帰るっていうのは、とっても久しぶりで、何だかとっても嬉しかった。例えそれが、猫を数匹は被っている優等生改めあかいあくま&初対面から気に食わない色黒野郎でも。

 校門までやってくると、そこには腕を組んで仁王立ちしてる弓ねえと、腰に手を当ててぷんぷん怒っているセイバーの姿があった。ははは、ほんとに待たせたみたいだー。うわー、ごめん。
「これ、士郎よ! 姉を待たせるとは何事か!」
「シロウ! ご無事だったのですね、心配しましたよ!」
「弓ねえ、セイバー、ごめん。ちょっと事情があってさ、遠坂たちと一緒に校内調べてた」
 ここは言い訳を先にしてもあれなので、まず両手を合わせて謝った。どんな事情があっても、二人を大幅に待たせてしまったことは間違いないんだもんな。
「事情、とな? まあよい、歩きながら追々説明をしてくれるのであろ?」
「もちろん、というか説明しなくちゃならない事情だし」
 弓ねえの台詞に頷いて、俺は姉上と肩を並べて歩き出した。さあ、とりあえずはマウント深山に行って夕食用の買い物だ。遠坂に美味い中華を作ってもらうためにも、美味しい食材を準備しなくちゃな。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

なぎ
2006年07月31日 14:32
こ、これは面白ぃぞぉぉぉぉお!
人修羅
2006年07月31日 20:28
TGSSでしかもギルガメッシュでさらに士郎の姉という設定なんてどうなることやらと思ってましたが、これはこれで面白いですね~。
続き、楽しみにしてますw
蜜柑
2006年08月01日 20:59
士郎少年の平和な日常を脅かしていく影のピースが少しずつ表面に出てきたというところでしょうか。士郎は弓ねえとの楽しい下僕生活を続けられるのか、続きが楽しみです。
T2
2006年08月01日 21:33
 本来は正義の味方として自己に価値を置かずに突っ走る士郎。しかし、ここでは弓姉というブレーキが士郎の速度を適度に緩め、無理をすることなくカーブを曲がりきれるような感じを受けました。
 あと、シスコン士郎バンザイ!!w 女王陛下の下僕をきちんと勤められる人間はそう多くは無いぞ。
コロン
2006年08月01日 22:00
面白いです。
私は元々ギル好きですが、こういったギルもいいですね。
続き楽しみにしてます。
2006年08月06日 10:39
>なぎさま
ありがとうございます。これからもご贔屓よろしく♪

>人修羅さま
>TGSSでしかもギルガメッシュでさらに士郎の姉という設定なんてどうなることやらと思ってましたが、これはこれで面白いですね~。
聖杯戦争前からギルと士郎が仲の良い設定のSSは時々あるんですが、「衛宮士郎」と仲が良いってのはあまりなかったり(自分の探し方が悪いのかも知れませんが)。で、自分で書いてみようと思ったのがこれです。楽しんで頂ければ幸いです、ええ。

>蜜柑さま
>士郎少年の平和な日常を脅かしていく影のピースが少しずつ表面に出てきたというところでしょうか。
そうですね。原作と比べるとかなり展開は早いですが。
>士郎は弓ねえとの楽しい下僕生活を続けられるのか、続きが楽しみです。
いいのか下僕で(笑)
2006年08月06日 10:40
>T2さま
>本来は正義の味方として自己に価値を置かずに突っ走る士郎。しかし、ここでは弓姉というブレーキが士郎の速度を適度に緩め、無理をすることなくカーブを曲がりきれるような感じを受けました。
そう、弓ねえがブレーキなんです。つまり、ブレーキがいなくなると……? まあ、かなり先の話ですが。
>あと、シスコン士郎バンザイ!!w 女王陛下の下僕をきちんと勤められる人間はそう多くは無いぞ。
本人が断言しているとはいえ、やはりいいのか下僕で(笑)

>コロンさま
>私は元々ギル好きですが、こういったギルもいいですね。
私も元々ギル好きです。というか好きなキャラ挙げたら全員アーチャー関係(士赤金)だったという(笑)
>続き楽しみにしてます。
ありがとうございます。ぼちぼち書いていきますので、おつき合いくださいませ。